梅雨にはいりましたね。
この梅雨入りは何人かの気象予報士が集まって話し合いで決めているそうです。
人間のやることだから、梅雨明けがない年もありました。
決められなかったんでしょうね、天気の具合でなかなか、、、、
ところで年金流出問題ですが、政府は保障しないと発表しました。
それはそうでしょう、自分たちがやっておいて保障なんかするわけがない。
保障するくらいなら最初からそんな面倒なことやるわけがない。
何十年もこつこつと支払ってきて、年金もらう年になったらもらえないなんて
泣くに泣けないじゃないですか。
この国はこういう理不尽なことを平気でやるんですね。
もう信用しない方がいいでしょう。
私たち国民が入っている年金と国会議員が入っている年金は、違います。
国会議員は国会議員互助年金というものに入っていました。
けれど実は小泉政権時代に廃止されているので、国会議員の年金はありません。
年金はありませんが、今も延々と国会議員は年金をもらい続けています。
この国はそういう国です。
じゃどこから????と不思議におもいますよね。
年金制度が廃止されたのに年金もらっているなんて、おかしいじゃない。
この国はなんでもかんでもすべて、公費を使います。
公費とは税金ですね。
国会議員の年金は私たち国民が収めた税金から支払っています。
06年批判を浴びた国会議員年金か゜廃止されました。
国会議員年金はたった10年間かけ続ければ年金をもらえます。
国民年金は25年という長きにわたってかけ続けなければ、受給資格がありません。
この差15年です、、、、
15年も長くかけ続けなければならない、、、、なんでこんな差をつけるんだか。
それで批判を浴びて廃止になったんです。
国家議員はもう年金をかけ続ける必要はなくなりました。
そしてもらえる年金もなし、、、、、なら別に国民が怒る必要はない。
ところが年金をかけ続けているわけでもないのに、延々と議員は年金を受け取っています。
立正大学社会福祉学部教授 渡部記安氏
「日本の国会議員年金は廃止されましたが今も若干削減した形で、支給は続けられています。
世界からみてもこういった国はありません。
互助の名称で58年にできた制度ですが、3年目には早くも赤字になり、税金が投入されました。」
06年の国会議員年金の支払い総額は年額で、24億3967万円にものぼります。
そのうちの72・7パーセントが税金から支払われています。
じつに半分以上です。
そして議員年金が廃止されたあとは、当然議員はお金をかけ続けなくてもよくなったので
その後は100パーセント税金からまかなわれることになりました。
私たちの税金は国会議員の年金にも使われているのです。
本当に渡部教授がいうように、世界からみてもこういった国はどこにもないでしょう。
在職期間が10年以上あった議員は、従来の15パーセント減となる年金を受け取るか
自分が収めた納付金の8割りを一時金でもらうかどちらかを、引退時に選ぶことができる。
中曽根康弘元首相 在職期間56年 年額約742万円
野中広務幹事長 在職期間19年 約486万円
小泉純一郎元首相 在職期間33年 約511万円
それぞれ月額にすると40万、50万、60万というすごい年金をもらっています。
普通の人たちの給料分の年金をもらっているんですね。
普通のサラリーマンだってそんな給料もらえる人ばかりじゃないですよね。
国民にも無年金の人も大勢います。
国民年金はひとりわずかに6万円ちよっとです。
夫婦合わせて12万6000円という人を知っています。
こんなわずかなお金で生活している国民がいるというのに、何十万という年金をもらっている議員
国会議員年金は当時掛け金は10万ちょっとです。
それをわずかに10年かけても1200万円です。
たった1200万かけ続けただけで、あとは65歳になれば年金がもらえる。
国会議員の1200万なんてあっという間にたまってしまうお金、、、
庶民の1200万はそりゃ大きいけれど、、、、、
というわけでこの国の異常な年金のことでした。
★日本軍の行った残虐行為
公然たる殺人が義務として遂行されるのが戦争です。
そして第二次世界大戦に至り、人類史上いまだかつてない残虐行為が数多く発生しました。
特にそれは日本軍の行動において著しかったのです。
大東亜戦争と日本が呼んだ戦争、、、、美辞麗句で並べたて聖戦と国民に呼ばせた戦争
その実態は、非人間的行為で満たされた汚れた戦争であった事実を明らかにします。
まず同じ日本人、同胞にたいして行われた残虐行為
45年6月大阪の陸軍司令官が
「この際食糧難が全国的に不足し、かつ本土は戦場となる由、老幼者及び病弱者は
みな殺す必要あり、、、、
是等と日本とが心中することはできぬ」
と方言したと伝えられる。
戦争推進者たちの本心を吐露したものとみていい。
道徳的に非人間的な行為として、糾弾するに値する。
また日本軍は特別攻撃特攻を発案しました。
陸海軍の特攻隊員がフィリピン、沖縄の敵艦隊 めがけ次々と飛び立っていきました。
これは最初自発的志願によって行われたかのように言われてきましたが
高木俊朗氏は、綿密な調査の結果、それが心理的な強制ないし命令によって行われたもので
あることを実証しています。
これは海軍の大西滝次郎の草案であるが、45年1月18日の最高戦争指導会議で
「軍備全般にわたり特攻化単一化に努む」
という決定がなされ、国の公式戦術として推進されたのです。
特攻隊員の苦悩は痛ましいものがあり、自暴自棄となって地上や海中で自ら墜死した者さえあった。
こんな戦術を採用した軍人の心理の底には、人間の命の尊厳を忘れた人権感覚の欠落が
横たわっている。
このほか、敵艦に突入自爆する人間魚雷である回天、その他の特攻兵器も用いられました。
次に民間人に対する態度、サイパンや沖縄では軍は住民を地獄の道連れにしました。
サイパン島で弾劾に追い詰められた邦人が、集団自決した際、岩から投身しようとして
ためらっている一家を発見した日本兵は、まず父親を射殺しつぎに母親を撃ち
鮮血にまみれた母親が二人の子を連れて脱出したのを米軍側は目撃しています。
(ロバートシャーロット サイパン)
沖縄の慶良間列島渡嘉敷島守備隊の赤松隊長は、米軍の上陸に備えるため
島民に食糧を部隊に出せといい、そして自殺せよと命じました。
島民329名は、恩納河原でカミソリ、斧、鎌などを使い集団自殺を遂げました。
また、座間味島の梅沢隊長は、老人と子供に村の忠魂碑の前で自決せよと命じました。
沖縄本島でも多くの住民がスパイ嫌疑で殺され、住民が壕に避難していると
作戦のため壕を立ち退くように強制され、彼らを敵弾雨飛の中に追い出しました。
また島の洞窟に軍民ともに逃げ込んで隠れ、幼児が泣き出すと声によって米軍に発見されるのを
恐れた兵士が幼児を大勢の目の前で絞め殺すようなことさえなすに至っている。
同胞に対してさえこのような残虐行為がなされたのであるから
敵や占領地民にたいして残虐行為がくりかえされたのも不思議ではありません。
また日本軍は戦時国際法にも違反しています。
1939年陸軍中将橋本群は、竹田宮に向かい、山西の山岳地帯の戦闘で毒ガスを使ったことを
告白しています。
(橋本群中将竹田宮回想応答録 現代資料九)
広島県大久野島では、33年にドイツ式イペリット製造装置を輸入し、秘密裏に毒ガスの
製造を続けていました。
強制的に作業に従事させられた徴用工や勤労動員生徒その他の工員が中毒のため
約350人が死亡しています。
(日本にあった毒ガス島 毎日グラフ臨時増刊、続 日本の戦歴)
(悲しき毒ガス患者たち 朝日ジャーナル1966年1月9日号)
このほか七三一部隊というものもありました。
この部隊については厳しい秘密に守られて、国民はまったくその存在を知りませんでした。
ドイツのアウシュビッツのガス室、アメリカの原子爆弾とならんで
計画的残虐行為の極限をなすトリオの一つです。
また九州大学で行われた生体解剖事件
捕虜となっ米軍のB29の搭乗員8名が生体解剖の実験に供せられた事件です。
九州帝国大学医学部の外科担当教授石山福二郎は、捕虜の肺臓を取り出し
肺動脈を切開し血液を全胸腔に充満させて死亡させた。
またある捕虜の胃の全部を取り出し、肋骨五本を切り手を心臓近くに突っ込み
大動脈を肥握しどれくらいの時間、血流を止めることができるかの実験を行って
死に至らしめている。
同じ日本人として恥辱感の苦痛を覚えます。
だから日本の降伏の報が伝わると、東京の憲兵隊では敵軍上陸のうわさにおびえて
逃亡する者が続出したという。
太平洋戦争 家永三郎著