悪夢のはじまりの原因は | 気になるニュースチェックします。

気になるニュースチェックします。

毎日気になる最新のニュースをチェツクします。

後藤さん殺害の記事が新聞を大きく飾っています。
本当に最悪の結末になりました。
これによって安部首相は邦人を救出するため、自衛隊を派遣できるよう
法整備を進めると力説しています。

こんなことをしたら、ますます邦人は危険にさらされるハメになるでしょう。
後藤さんを助けられなかった無力感に、多くの人々がさいなまれているのに付け込んで
さらにそれをあおるような行動に出る、、、

人命第一、テロに屈しない、人道支援、、、
言葉とは裏腹に、安部のやっていることは邦人を危険にさらすことばかり、、、
今回の日本人人質事件も原因は安部首相にある。

テレビ、新聞ではどこも報道しないが、人質を殺したのは安部です。
唯一ラジオの文化放送だけは、安部が一番悪いと言ってましたね。
こんな人間の命がかっているというのに、こんな残忍な惨事に付け込んで
自衛隊の派遣をできるよう法整備するという。

今やイスラム国は日本を敵とみなした、、、
それなのに自衛隊など派遣したら、まるで殺されに行くようなものじゃない。

「お前の国民を場所を問わず殺戮する。
 日本にとっての悪夢が始まるのだ」

こんなメッセージがイスラム国から安部に向けられたというのに、、、、

イスラム国が「邪悪な有志連合」と名指しするその有志連合国の参加国に
人道支援という名目ではあるけれど日本も参加しています。
その有志連合の呼びかけ人は米国です。

それじゃ傀儡国日本も参加しなきゃならないわけね。
米国はシリア空爆も、イラク空爆も行って多くの人々の命を奪ってきました。
空爆とは空から地上に爆弾を投げ落とすことですね。
空から爆弾を投げ落とされたら、どれほど多くの人の命を奪うことになるのでしょう。

イスラム国のテロ行為は、支配地域の中でしか行われていません。
飛行機で人の国の空まで飛んで行って、空から爆弾を投げ落とすような
無差別殺人はしていません。

後藤さんのような人を殺害する行為は、決して許されませんが
人の国まで飛んでいって、空から多数の人々を殺戮する無札別殺人行為をする
米国は今回の後藤さんを殺したイスラム国よりひどい無札別殺人国家です。

だから邪悪な有志連合と呼ぶ。
その邪悪な有志連合に参加した日本が恨まれ、後藤さんが殺された。
犠牲になったんですね、、、

そして自衛隊を派遣し、戦闘に参加させようと法整備をするという。
戦後70年、戦争をしない国であり続けた日本、、、
それが安部政権下で変えられようとしています。

悪夢の始まりの原因は安部日本政府にある。



★終章 菅生事件

 戸高が現われ法廷に入ってくると、なんとその周囲に屈強な男たちが付き添っている。
 そして弁護人が
 「証人に付きまとっている人間がいる。
  彼らはなんですか、裁判所の職員ですか」
 と、詰め寄ると裁判長は、「護衛」だという。

そんなばかな裁判があるかと阿部定光が訴える。
屈強な護衛は、いずれも福岡県警の警備、公安の警部補と巡査部長だった。
結局、裁判長は護衛の男たちを退出させた。

「菅生村に行ったのはどなたかの上の命令でいったのですか?」
「当時私の上司、小林末喜部長の命令です」
「現地にはいつ行って、いつまでおったのですか?」
「昭和27年の3月中旬であったように記憶しています。
 それから6月1日の午後10時ころまで菅生村にいました」

この証言に傍聴席は耳を疑った。
後藤、坂本が主張する2日午前零時半ころ、菅生中学の横で待ち合わせたと言う
話と矛盾していた。

戸高はうその証言をこの後もつづけた。
評論家の中野好夫は傍聴後
「裁判のやり方には呆れてしまった。
 検事と証人とのなれ合いのやり取りが見え透いていて、不愉快だった。
 こんなことを国民が知れば、公正な裁判に対する信頼はなくなってしまう」

映画監督の山本薩夫は
「失望した、裁判官はどうして弁護団に先に尋問させなかったのか。
 新聞記者と弁護士が先に発見した戸高なのに、裁判官は一言の弁明もなく
 だんまり続けたまま、弁護団の要求を却下してしまった。
 弁護団に先に尋問させると戸高証言と小林末喜証言とのつじつまをあわせて
 一気に有利に持っていこうとする筋書きが崩れてしまうからだろう。
 この事件の裏に終始警察権力が感ぜられるのは重大なことだ」

「春風荘に入る前はどこに住んでいたのですか?」
「当時の人に迷惑をかけるので、申しあげたくないのです。」
「当時の人というのは、犯罪関係になるのですか?」

検事は異議を申したてるが、正木弁護士は
「関係があるからやっているのだ。
 偽証を教唆する必要はない」

法廷内はそうだ、そうだの怒号で騒然とした。
また戸高の母親ミトは、豆腐屋を一人で細々と営んでいたが母親の家を改築している。
戸高は送金はしていないという。
送金もなしにその改築費用はどこから出たのか。

正木弁護士は、無職の戸高が潜伏生活を続けられたのは、国家権力、警察権力が
グルになって匿っていたためだという事実を国民に印象付けようとした。
菅生事件こそ、警察ぐるみの犯行そのものなのだということを、、、

戸高が姿を現して以来、菅生事件はすっかり全国民の知るところとなった。
特に作家文化人の発言は広い範囲で行われました。
そしてそのほとんどが「警察の陰謀」と糾弾する内容でした。

中でも「中央公論」1957年6月に掲載された評論家中野好夫の
「菅生事件の戸高節」と同誌7月号に投降された九州管区警察局長弘津恭輔の
「菅生事件と警察の立場」は注目を集めました。

○戸高ののらりくらり下法廷での証言について
 「終始うそばっかりついていなければならぬ圧力の下に置かれている
  人間のみじめさ、苦渋としか私には思えなかった」

「外からの力のためにうそをつかなければならぬ人間の悲惨さを
 つくづく目のあたりに見たように思う」

「むしろ真に憎むべきは、おそらくもともと大した悪人でもない、むしろ善良、小心な
 一市民であったろう人間の人間性を荒廃させ、堕落させついには良心にかけて
 うそをつく人間にしてしまった背後の暗黒的権力でなければならぬ」

中野はこうした警察権力のあまりにも非人間的な構造を心から憎んだ。
菅生事件は1952年6月の事件発生から、14年間にわたって争われました。
その真相は国警大分県本部警備部長小林末喜がシナリオを書き、警部桑原唯七が
メガホンを握り、おとり捜査官戸高公徳が主役を演じた。

市木春秋、本名戸高公徳、、、彼の名は1956年~66年にかけて
時の人として新聞、雑誌、ラジオ、テレビを10年にわたって賑わわせました。
高裁、最高裁では敗北したが、警察が全勢力をあげて隠匿し守り通した人物です。

この主役を演じた見返りに、のちに警察大学校特別捜査幹部研修所教官に迎えられ
警察庁人事課長補佐、警察大学校教授となり異例の「警視長」まで登りつめました。

この事件にかかわった人はその多くは鬼籍に入っています。
後藤秀生はその後党を離れ、2004年12月15日亡くなった。
坂本久夫は共産党員として活躍し、平成11年3月2に逝去した。

後藤守は神奈川で不動産屋を営み、その後考古学に魅せられ発掘調査に余念がなかったが
平成10年3月23日に前原市で亡くなった。

ともあれおとり捜査官戸高公徳が演じた陰謀ドラマの幕はようやく閉じられた。
非道な警察自爆自演、菅生事件はようやく終わりました。