オスプレイは沖縄軽減の演出 | 気になるニュースチェックします。

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オスプレイが厚木に飛来しましたね。
厚木は長年、騒音被害や部品の落下事故に耐えてきました。
私の実家が何年かそこにあったのですが、あの騒音は気分が悪くなるほどです。

沖縄の軽減を演出している今回の厚木基地へのオスプレイの飛来。
米軍が沖縄の負担を軽くしたということをみせかけるための演出です。

それにしても日本の小さな空のうえを飛ばなくても
米国の広大な大地の上で練習すればいいのに、、、
それとも広大な海の真ん中でいくらでも飛ばせばいいじゃない。

それならオスプレイが事故って海に落ちても、被害は乗り組み員と飛行機だけ
わざわざ狭い日本に持ってきて、狭い日本の空を飛ばす必要なんかないじゃない。
練習も大変でしょう、下には民家の密集地、上には飛行機がじやんじゃん飛んでいるし
なにしろ狭いし、、、、日本の空は練習には不向きだと思うけど、、、、、

なにもこんなところにオスプレイなんて、危険このうえもない物騒なもの
もってこなくてもいいのに、、、、、米国も、、、、


★軍民の処刑場面を目撃したダーティン記者

 南京にとどまって取材活動を続けていた4人の外国人記者
 彼らはアメリカ砲艦パナイ号が撃沈されたこと。
 そして日本軍占領下では、記事の送信手段がないことから上海へ向かった。

 このときにダーティン記者は、敗残兵狩りで集められた軍民の
 処刑場面を目撃しています。
 
「上海行きの船に乗船する際、バンド埠頭で200人の男性が処刑されるのを見た。
 殺害時間は10分であった。
 処刑者は壁を背にして並ばされ射殺された。
 それからピストルを手にした大勢の日本兵は、ぐでぐでになった死体のうえを
 無頓着に踏みつけひくひく動くものがあれば弾を撃ち込んだ。
 この身の毛もよだつ仕事をしている陸軍の兵隊は、バンドに停泊している軍艦から
 海軍兵を呼び寄せてこの光景を見物させた。
 見物客の大半は明らかにこのみせものを大いに楽しんでいた。」
(ニューヨークタイムス)37年12月18日

敗残兵に暴行を加える日本兵の心理、予期せず勃発した日中全面戦争に駆り出され
常軌を逸した南京進撃の難行軍に強いられ、場当たり的な作戦指導に弾薬の不足
それらの恨みと怒りは、本当なら軍や政府や上級指揮官に向けられなければならないのに
それらは中国軍民に転嫁され中国軍民を殺戮するという日本軍の行為。

南京防衛軍のうち第66軍と第83軍だけは、日本軍の正面を突破して脱出を試みた。
南京防衛軍のなかで、日本軍の正面突破を敢行したのはこれら広東軍だけだった。
これらの中国軍が日本軍の包囲網を突破したことにより、日本軍は警戒心を強め
南京近郊の特に南京城に接した区域に残敵掃蕩戦が行われた。

南京近郊の六合、江浦、江寧、句容、高淳の村などに日本軍が引き起こした
殺害、強姦、略奪、放火などの残虐行為が記録されている。

12月17日午後1時半南京入城式が開始されました。
このもようはニュース、映画、ラジオ、新聞、などを通して大々的に
日本国内に報道されました。

この日の先陣日記に松井はこう記している。
「中山門より国民政府にいたる間両側には両軍代表部隊、各師団長の
 指揮の下に堵列、予はこれを閲兵しつつ馬を進め、両軍司令官以下随行す。
 未曽有の盛事、感慨無量なり。
 午後2時過ぎ国民政府に着、下関より入城先着せる長谷川海軍長官と会し
 祝詞を交換したるのち一同前庭に集合、国旗掲揚式に続いて東方にたいし
 遥拝式を行い、予の発声にて大元帥陛下の万歳を三唱す。
 感慨いよいよ迫りついに第二声を発するをえず。
 さらに勇気を鼓舞して明朗大声に第三声を上げ、一同これに和しもって
 歴史的式典を終了す」
(松井岩根大将陣中日記)

クリスマス前後南京攻略に参加した多くの師団が、新たな作戦地域を目指して
移動していった。
それまで7万人以上の日本軍が前後して南京城内に進駐し、10日前後の休養をした。
そして勝利者の特権として、微発、略奪、殺戮、強姦、暴行、放火などの不法行為を
黙認、放任するかたちになった。

こうして日本軍の完全占領下に外部との交通、通信を遮断され南京は
密室犯罪的な環境の下に置かれた。