国家には国家の意思がある | 気になるニュースチェックします。

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毎日、新聞に原発のこと、秘密保護法のこと 改憲のことが
載らない日はありませんね。
安部政権が誕生する前は、こんなこともありませんでした。

安部内閣は、福島のことも、原発安全神話の崩壊も
まるでなかったかのように、エネルギー基本計画を閣議決定しました。
それだけではありません、集団的自衛権の解釈改憲も閣議決定します。
安部政権は、閣議決定を乱発しています。

安部は国会を軽視しています。
議論は十分されず、政権の判断だけで決めるやり方は
まるで独裁者そのものです。

安部は、解釈改憲について、内閣法制局長官への質問をさえぎって
「最高責任者は私だ」
と言いました。
まるで北朝鮮の最高責任者のようです。


安部は民主主義の原則である立憲主義を否定しました。
自民党の古賀誠氏は
「閣議決定で解釈改憲をするような、姑息なルール違反は
 絶対にやってはいけない。
 ひとつ間違えば戦争に取り込まれてしまう」
と語っています。

安部が訴えている積極的平和主義というのは
戦後の日本の平和を消極的だと、否定しているのです。
どうして平和が消極的なのか
どうして平和がいけないのか
まったくわからない。

国家は国民を常にやさしく包み込んで、守ってくれるものではない。
私たち庶民がどう思い、考えようと国家には国家の意思がある。
戦争に行くのは若い人です。
政治に深く絶望しているからといって、政治に無関心、選挙に無関心
選挙に行こうともしない。

国を戦争に近づける政権を、支持するようなそんな
ばかなことをしているようでは、金はもちろん
いつか命さえ国家に奪われる。


特捜検察の誕生

日本の検察ほど、強大な権限を持つ国家機関は世界でも例がない。
日本の検察は、どうしてこんなにも強い権力をもったのでしよう。

1868年明治維新後、新政府が作った内務省、大蔵省、陸海軍など
主要な官庁の要職は、当然のことながら明治維新を成し遂げた
薩摩、長州出身者によって占められました。

1888年今の東京大学法学部から、平沼騏一郎が司法省入りをします。
彼は回顧録で次のように述べています。
「当時司法省といえぱ、各省の中で一番ばかにされ,役に立つ者は
 行政庁に行き、役にたたないものが、判事、検事となっていた」

1910年検察は大逆事件で、幸徳秋水らを逮捕します。
大逆事件とは、爆弾による天皇らの暗殺計画発覚にともなう弾圧です。
この事件で全国の社会主義者、無政府主義者らを一斉摘発しました。

検察は皇室の危機を未然に防いだ功績で、司法部内の優位を確立します。
そして検事総長の地位は、司法大臣や今の最高裁長官と同じ
レベルに引き上げられます。
この事件がその後の検察の針路を決定付けました。
なにしろ皇室を守ったんだから、そりゃもう鼻高々でしょ。

そして平沼の地位も1912年検事総長に就任
1923年司法大臣に昇格しました。
やがて検尊判卑といわれるようになっていきます。
検尊判卑とは検事が判事より偉いということです。

戦前、軍が暴走したのと同じように、検察は政党政治を壟断し
思想弾圧に猛威を振るいました。

そして戦争が終わるとGHQが司法制度改革に乗り出してきます。
しかし、GHQはその関心が軍の解体、特高警察の解体にあり
検察はその陰に隠れてしまい、ほぼ無傷のまま改革の嵐を
くぐりぬけることに成功しました。

そして新刑事訴訟法を足ががりに、1949年に
東京地検特捜部が誕生しました。
戦前の強い検察の復活です。