今朝のテレビでは、河野談話のことが話題になっていました。
河野談話も、村山談話もともに過去の戦争のことを、日本側の過ちとして
おわびしたものです。
それが、なんて゜今頃またとりあげられるんでしょう。
時の政権が、発表したものを、いまさらあれは間違っていたから
もう一度検証するということらしいです。
読売新聞も、2月22日付の社説には、次のようにあります。
「確たる証拠もなく、談話を発表したため、日本軍が強制的に若い女性を
慰安婦にしたという形で、世界に受け止められている。
河野談話が禍根を残したことは、まちがいない」
また、産経新聞は、従軍慰安婦問題を虚構とまで書いています。
読売も産経も政府寄りの新聞なので、政府の都合の悪いことは書きません。
書くのは都合のいいことだけです。
そういったら、日本のほとんどの新聞、テレビもおんなじようなものです。
だから信用していません。
だいたい、戦争が終わって何年たっていると思っているのよ。
大昔それも秀吉の時代のことまで、歴史で詳しくわかるのに
たかが太平洋戦争時代のことが、わからないわけないじゃない。
従軍慰安婦がいたとかいないとか、強制されたとか
従軍慰安婦なんて、相当の数になるわけ。
数人や数十人なんて数じゃない。
兵隊を相手にするわけだから、、、、、、
それなのに、なんで詳しいことまで、いまさら調べなきゃわからないわけ??
たかが数十年前のことじゃない。
秀吉時代の何百年前のことは、わかっても数十年前のことはわからない。
おかしな話です。
これは、どちらかが真実を隠しているだけです。
その場合、真実を隠さなければならない方は、自分たちのやった過ちを
認めたくない、恥を知られたくない、という側の人間です。
閔妃暗殺事件
日清両国が撤兵するのは、当然で議論の余地はないという内容の
公式回答が清国からとどいた。
そして、日本は軍隊は断じて撤去しないという公文を清国に送った。
陸奥自身これを
「清国政府に対する日本政府の第一次絶交書というを得べし」
と、書いている。
そして陸奥は
「今後日本は単独行動をとることに決した。
加藤書記に訓令を持たせて、ソウルへ派遣する」
と打電した。
その訓令には、いかなる手段にても開戦の口実を作るべしとあった。
重臣たちの会議はつづくが、日韓会談は不調に終わった。
袁世凱も早々に帰国してしまう。
開戦を前に、日本は戦争遂行に協力的な傀儡政権を樹立する
必要にせまられていた。
そして大院君を推挙する。
閔妃一族に圧迫されて、幽閉の日々を過ごす彼のもとに使者がたてられた。
そして岡本柳之助という人物が、大院君の説得にあたった。
「大院君が政権を握って、国政改革を断行し、専横を極めた閔氏一族を
放逐する機会はいまです。」
閔妃一族の憎しみを知る岡本は、大院君が喜んで説得に応じると
予測していたが、大院君は無言であった。
このころ大鳥の計画通り日本軍の一部が、景福宮に乱入し王宮を占領した。
そして王は
「このたびの日本の行動が、真に義挙であるならば、あなたは日本の
皇帝に代わって事が成功したあとも、わが国土を寸地たりとも
割かないと約束できるか」
かけつけた杉村書記官は、筆をとり漢文で、けして朝鮮の国土を
割くようなことはいたしませんと書いた。
このあとはすべて日本側のおぜん立て通りに運んだ。
そして大院君を首班とする新政権が誕生した。
8月1日、日清両国は宣戦を布告した。
日本側は、親日的要人を議員として、彼の干渉できない合議体の
政府機関を作った。
議員が会合して内治、外交の問題を討議し、その議決事項を執行する
機関で会議総裁官は、金弘集と決まった。
大院君は早くも飾り物にされた。
そして閔氏一族の処分が始まった。
陸奥は
「7月23日事変後の、朝鮮政府の動作は大院君が内政改革の名をかり
第一に王妃の戚類である諸閔に対し、多年の宿望である復讐を
行うことで始まった」
と記す。
そして、閔氏一族のすべてが追放され孤立無援となった閔妃は
王宮の奥深くひっそりと暮らしていた。
日清戦争勃発前後、日本人のほとんどがこれを義の戦争と考えていた。
長年弱い朝鮮をいじめてきた、横暴な清国をこらしめ、朝鮮の
独立を助けようというものであった。
内村鑑三も戦争が始まると英語で、日清戦争の義という文字を書いて
発表した。
これは欲の戦争ではなく、正しい戦争であるということを強調した。