森 鴎外 その仮面の下 | 気になるニュースチェックします。

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また、日曜日は雨になるみたいですね。

桜が満開ですが、日曜はお花見できませんね。

私は先週の土曜日に、近くの公園にお花見に行ってきました。

満開ではなかったのですが、風もなくてよかったです。


この桜の時期になると、いつも思い出すことがあります。

それは、震災前に行った,美春の滝桜です。

滝桜もとてもよかったのですが,美春の町全体が桜、桜、桜なんです。


あのときは、近所の人とバスツァーで行ったのですが

どこを走っても、桜一色で、まるで桜の中を走っているんです。

何もかも、桜色に染まってしまう感じで、とても感動しました。


ところで、今日も悪人を紹介します。

明治の文豪と言われている、森鴎外です。


昔は、脚気という病気がありました。

三代将軍家光も脚気で死んだといいます。

今では脚気の原因は、ビタミンB1の不足ということがわかっています。

江戸時代は、麦飯や粟飯を食べていました。


地方の人が、江戸に出てくると、白米を食べるようになり

それにより、病気になり江戸病、江戸やまいと呼ばれた。

脚気という病気は、江戸から明治までは

日本人がよく罹る病気であり、一度罹ると死病と恐れられていました。


明治維新後、富国強兵策をとった日本は

日本兵の体格が、貧弱なのは、食事にあるとして

麦や粟をまぜない、白米食を中心に一日あたり五合を支給しました。

その結果、軍隊では脚気患者がひろがった。


ドイツで最新医学を学んだ、陸軍軍医副総監の森 林太郎は

脚気の原因について、細菌説を主張しました。

同じく、副総監の高木兼寛は、食物原因説をとった。


明治16年、南太平洋を航海中の軍艦龍駿において

乗組員378名中、168名が脚気になり、そのうちの25名に死者が出た。

高木は、白米に原因があるとして、人体実験を試みる。

練習艦、筑波に龍駿と同じ兵員を載せて

同じ航路を同じ日数をかけて航海させたが

食事は麦飯やパン食を支給した。


280日に及ぶ航海のあと、ハワイに入港。

兵に病気一人もなし、、、、、という報告が高木のもとに届いた。

以後、海軍の兵食は麦飯とパン食になった。


しかし、陸軍はそうではなかった。

森 林太郎(森 鴎外の本名)は、白米至上論を唱え続け

海軍の麦飯を批判したのです。

そして、将兵の麦めし支給の要求を拒否し続けた結果

脚気患者が急増しました。


日露戦争を観戦した外国武官たちは

突撃の際、脚気で足をヨロヨロさせながら進む日本兵を見て

酒に酔っていると記録したほどだった。


明治37年、日露戦争での戦死者47000名に対して

脚気による戦病死27800名、、、、脚気患者21万1600名という状況。

森が兵士の生命よりも、自己のメンツを守ることを優先させたため

多くの兵士が生命を奪われた。


これは、一芸一能に秀でた人間が人格的に

必ずしも立派であるとは、限らないということの実例です。

森は、海軍から脚気を克服した明確な事実を示されても

死ぬまでその過ちを認めなかったのです。


冷酷、非道な人間が明治の文豪の名声を博している

なんか、疑問を感じてしまいます。