幸福論
実家に帰ると、ホッとする。あれをやらねば・これをやらねばといったものもなく、気遣いも必要ない。特に何を話すわけでもないのだが、心が落ち着く何かがある。
これまではなんとなく、田舎(奈良)だから時間がゆっくり流れているのかなぁと思ったりしていたけど、周りの話を聞いていると、どうやらそれだけではなさそうだ。結局は、何があってもそこに帰れば家族が味方してくれる、ということが妙に安心感につながっている、ということかと思う。
話は変わるが、自分の父は、京都の大学を出た後、関西のとあるエネルギー会社に就職した。ちょうど学生紛争の後で、大学受験でも色々大変な時期だったようだ。それが影響したのかどうかは知らないが、東京に行けばという勧めを断り、敢えて転勤の少ない関西の会社を選んだとか。
その頃の父の考えがどうだったのかは知らない。ただ、少なくとも就職前後の俺からすると、「なぜ能力をフルに生かさないのか?」「なぜもっと広いフィールドで試さないのか?」といった疑問があったのは事実で、結果として俺は銀行の国際部門という、「何処に行くか分からない」という意味では父と逆に無闇矢鱈と広いフィールドに出ることになり、それはそれなりに充実した生活を送ってきた。
もちろん、そこに一切後悔は無い。
ただ、今回実家に帰って、生まれたばかりの息子の写真と、同じ頃合いの昔の自分の写真を見ながら、両親とあーでもないこーでもないと談義している時間が、余りにも幸せで贅沢な時間で、自分でも驚いた。
「このころは泣いてばかりで・・・」とか、「他所の子と比べて大きくて・・・」とか、そんななんども聞いたような他愛もない話。でも不思議と、心から楽しかったし、こんな時間が沢山欲しいと思った。これまでろくに見なかったアルバムをもう一度見てみたら、本当に自分の成長がきちんと記録されていて、驚いたりもした。
結局、幸せそうな両親の顔を見ながら、
「人生の幸せは自分一人では味わえない。自分にとって大切な家族が幸せになってこそ、自分も幸せになれる」
という当たり前の事実に改めて気付かされた、ということなのかもしれない。
自分自身の選択を振り返ってみれば、東京に出たいといったのも自分のため、銀行に入りたいといったのも自分のため、海外に行きたいと言ったのも自分のため。全て、「自分にとって一番」の選択ばかりをしてきた。それはそれで、とても充実していたので良かったわけだけれど、やっぱりこれからは、それだけではダメだ、と今更ながら思う。
もちろん、父の時代と、俺の時代と、そして自分の息子の時代と、それぞれ価値観は変わっていく。どうすれば幸せになれるかは、その時々に考えぬいて選択するほかはないのだろうし、家族の反対を押し切っても頑張り通さなければならないタイミングは沢山あると思う。
ただ、「本当の幸せは自分一人では手に入らない」ということは、常に頭に置いておきたい。
そして、今から30年後に、息子が同じことを感じて欲しい。
心の落ち着く実家で、いい気づきをもらった。
これまではなんとなく、田舎(奈良)だから時間がゆっくり流れているのかなぁと思ったりしていたけど、周りの話を聞いていると、どうやらそれだけではなさそうだ。結局は、何があってもそこに帰れば家族が味方してくれる、ということが妙に安心感につながっている、ということかと思う。
話は変わるが、自分の父は、京都の大学を出た後、関西のとあるエネルギー会社に就職した。ちょうど学生紛争の後で、大学受験でも色々大変な時期だったようだ。それが影響したのかどうかは知らないが、東京に行けばという勧めを断り、敢えて転勤の少ない関西の会社を選んだとか。
その頃の父の考えがどうだったのかは知らない。ただ、少なくとも就職前後の俺からすると、「なぜ能力をフルに生かさないのか?」「なぜもっと広いフィールドで試さないのか?」といった疑問があったのは事実で、結果として俺は銀行の国際部門という、「何処に行くか分からない」という意味では父と逆に無闇矢鱈と広いフィールドに出ることになり、それはそれなりに充実した生活を送ってきた。
もちろん、そこに一切後悔は無い。
ただ、今回実家に帰って、生まれたばかりの息子の写真と、同じ頃合いの昔の自分の写真を見ながら、両親とあーでもないこーでもないと談義している時間が、余りにも幸せで贅沢な時間で、自分でも驚いた。
「このころは泣いてばかりで・・・」とか、「他所の子と比べて大きくて・・・」とか、そんななんども聞いたような他愛もない話。でも不思議と、心から楽しかったし、こんな時間が沢山欲しいと思った。これまでろくに見なかったアルバムをもう一度見てみたら、本当に自分の成長がきちんと記録されていて、驚いたりもした。
結局、幸せそうな両親の顔を見ながら、
「人生の幸せは自分一人では味わえない。自分にとって大切な家族が幸せになってこそ、自分も幸せになれる」
という当たり前の事実に改めて気付かされた、ということなのかもしれない。
自分自身の選択を振り返ってみれば、東京に出たいといったのも自分のため、銀行に入りたいといったのも自分のため、海外に行きたいと言ったのも自分のため。全て、「自分にとって一番」の選択ばかりをしてきた。それはそれで、とても充実していたので良かったわけだけれど、やっぱりこれからは、それだけではダメだ、と今更ながら思う。
もちろん、父の時代と、俺の時代と、そして自分の息子の時代と、それぞれ価値観は変わっていく。どうすれば幸せになれるかは、その時々に考えぬいて選択するほかはないのだろうし、家族の反対を押し切っても頑張り通さなければならないタイミングは沢山あると思う。
ただ、「本当の幸せは自分一人では手に入らない」ということは、常に頭に置いておきたい。
そして、今から30年後に、息子が同じことを感じて欲しい。
心の落ち着く実家で、いい気づきをもらった。