片岡仁左衛門丈のことなど | midory-sのブログ

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片岡仁左衛門って書くと

どうしてもお父様の13代目のイメージで

私の中ではいつまでたっても孝夫ですが

 

孝夫(さん)を発見したのも

レオ様のときと同じ

殺陣の動きに目を奪われて

 

 

1965年のNHK大河ドラマ「太閤記」

なにせ古い写真でクリアじゃないですが

森蘭丸でした。

 

前髪立ちの姿から元結だけを

切って貰った姿

 

 

長刀(槍だったかな)をふるう姿にくぎ付け

配役の「片岡孝夫」だけは

メモしたものの

ネットなんて便利な物がある時代じゃないし

 

当時高校生になったばかりの私は

(歳がばれちゃう)

小さい時から続けていた日本舞踊の

お師匠さんに

 

絶対!歌舞伎か日本舞踊の世界の人だと思う

って聞いたら

 

ああ、仁左衛門さんとこの三番目ね

との返事

 

でもそのころ関西の歌舞伎は壊滅状態

年末の京都南座しかない

 

それでは芸の伝承もできないということで

13代目の仁左衛門さんが

自主公演の形で細々と

道頓堀で公演をしていらっしゃいました

 

孝夫さんも今回のコロナ禍で公演ができないときに

廃業しなければならないかと思ったこともあった

とおっしゃっていましたが

本当に大変な時代でした

 

1951年に日本は敗戦から独立を取り戻したものの

戦前、伝統芸能を支えていた

お金持ちや旧華族は落魄し支える力はない

有名な能狂言のお家でも

近所の仕立物をして糊口をしのぐ有様

 

60年代になって少し経済が良くなっても

メディアは東京中心ですから

関西の伝統芸能は衰退する一方でした

 

そんな中での自主公演

見ないわけにはいきません

 

アルバイトをして道頓堀に通いました

ノートに授業の時間割を書いて

あと何回欠席したら単位が取れなくなる

なんて計算をしながら

 

今から考えると楽しかったですね

母がのんびりした人で

前の日にお弁当がいるかどうか言えと

学校をサボることには言及せず

 

本来は人形浄瑠璃を上演する朝日座を

使ったこともありました

演じる方は小さい舞台で大変だったでしょうが

その分役者さんに近い所で見られる私には問題なし

 

弁慶も道頓堀で見たと思います

花道のすぐそばの席で

六方で引っ込む孝夫に卒倒しそうでした

 

卒論は鶴屋南北

主なテーマは「桜姫東文章」でした

「四谷怪談」は有名すぎて選びたくなかった

ひねくれてたんですね

 

レオ様を発見したのも美しい動きから

 

歳をとっても惹かれるポイントは

高校生のときと同じ(笑)