今朝読んだ記事でまた父のことを思い出しました。父を許せないと記事に書いていますが父とは普通にずっと交友がありました。



14歳の時に父親と別れて父親は若い女性と再婚していても葬儀に出席して涙を流せる素直さん。


父を許せないと書きましたが、結婚後は実家の近くに住んで実家でやっていた私塾で教えていました。主人の失業とホームシックで親元に帰りたいと言われて母を守ってあげられなくて横浜に引っ越ししました。


わたしが結婚の条件に挙げたのは2つ。煙草をやめることと実家の近くに住んで母を守ることでした。残念ながら主人は2つ共守ってはくれませんでした。


当然のことながら、わたしが居なくなって愛人は母をいじめ放題。横浜に引っ越した後も帰省はしていました。横浜と名古屋は新幹線ですぐに行けるのに主人は3年に1回帰れば十分だと言いました。


結局わたしが横浜に引っ越して1年半で母はメンタルを病み妹と2人家を出ました。その少し前に母を横浜に連れて来ました。当時わたしは体調を崩して近所の鍼灸師さんのところに通っていました。


赤ちゃんの長男と遊んでいるから大丈夫と鍼灸師さんのところで治療を受けて帰ったら長男が一人でいて母はいませんでした。父から母が死ぬと電話があったと連絡が来ました。母は妹に電話をかけて父はそれを聞いていたようです。キャデライトホテルにいると。


電話帳を見るとサテライトホテルというのがあって友人夫婦と向かいました。母は偽名で泊まっていました。部屋の外から母に話しかけると、あんたがエホバの人と来たのが見えたと言いました。


ホテルの高層階から車にわたしが乗っているのが肉眼で見えるわけないです。母は千里眼でした。遠くにいる人が何を話しているかわかることもありました。当時主人に聖書を研究を教えてくださっていたご夫婦が一緒に来てくださいました。


母は、わたしを部屋には入れてくれませんでした。妹が名古屋から駆けつけてドアの下から現金10万円を入れると母は妹を部屋に入れてドアを閉めました。それからずっと母と妹には会っていなくて連絡先も知りませんでした。


その後数年して父が連絡先を教えてくれて母と妹に会いました。母はわたしに悪いことをしたからもう会えないと思っていたと言いました。給料振り込み通帳を持って行ってしまったことを言っていたのでしょう。


妹は大学を休んで付きっきりで看ていたそうです。母が色んなところに電話するので電話も引けなかったそうです。まだ携帯のない時代でした。


父と母は、その後もずっと別居していました。母は妹と2人で暮らしたマンションに妹が結婚後も住んで1人暮らしをしていました。いつも愛人に怯えていました。何をされるかわからないからです。とても怖い人です。




愛人は母にわたしは先生の子を堕している。奥さんには4人の子どもがいるあとの権利は全部自分にあると言ったそうです。


父には曾孫を見せることも出来ました。母は78歳で亡くなったので息子が結婚したことも知りません。母が亡くなる前グループホームに入所してからは毎月会いに行っていました。危篤になった時には東京に住んでいた娘に会わせることも出来ました。


母が亡くなった時は涙がとめどなく流れました。でも父が亡くなる前にも毎月会いに行っていたのに父が亡くなった時は少しも泣けませんでした。母が亡くなった後父と2人で居酒屋でわたしの奢りで話しました。


父は結婚して母がお手伝いさんを雇って欲しいと言ったとか被害者意識しかなかったです。お金持ちのお嬢さんと結婚した格差婚。亡くなった祖母は祖父に上女中下女中と3人は女中さんがいないとと言って祖父のことをいつも甲斐性なしと責めていたそうです。


あれほど母に酷いことをしておきながら父には少しの反省もなく被害者意識しかなかったのです。


父が亡くなった時の葬儀の記憶はあるのですが、いつ亡くなったのかわからないほど、精神的に追い詰められていたのだと思います。夏だったのだと思います。葬儀場に泊まってエアコンの音がうるさくて眠れなかった記憶はあります。


弟は名古屋に行っても4階建のマンションに2人で住んでいますがホテルに泊まれと言います。父が亡くなって以来実家に足を踏み入れていないです。全財産を一人で相続した弟は会おうともしません。