反省して生き方を変える人もいるようです。自分は変えることが出来ても相手を変えることは出来ません。


ウィリアム•グラッサー博士の本を10年程前に読みました。

『選択理論』にはそう書いてありました。



最近よく人を許すことについて考えます。よく人を許すようにと言われますが一度も謝らないで繰り返し同じことをする人を許すことが出来るでしょうか?


わたしは父のことを許すことが出来ません。幼い頃に父方の親族が取り囲む中で母を両手の拳でぼこぼこに殴った時の光景が鮮明です。


何故誰も止めてくれないのと思いました。父は欲しい物があると高くても月賦で買っていました。


母は働き者で洋装店の裁断士として昼間は妹をおぶって働いて帰って来てからは和歳の仕事をしていました。


当時は県庁勤めでした。税理士を目指して勉強していました。母の叔母の家で集中して勉強していました。


合格して税理士事務所を開業した時、父は愛人を事務員として採用しました。母の叔母は開業資金として200万円出してくれました。わたしが小学1年生の時です。


でも愛人が奥さんと子どもが邪魔だから追い出して欲しいと言いました。


小学2年生の9月には母と子どもたち4人は自宅から離れた2Kの借家に引越しました。


父が帰って来る日もありましたが愛人と自宅で暮らしていて気が向いた時だけ帰って来る時もあれば愛人と2人で帰って来る日もありました。


小学2年生の冬頃から両親は毎夜離婚の話しをしていました。年明けのある日学校から帰ると母がいませんでした。


重度の認知症の祖母と幼稚園の弟に2歳の弟と1歳の妹が残されました。父は愛人と暮らしていて帰って来ませんでした。


最初家政婦さんが来ましたが赤ちゃん2人に認知症の祖母がいる家につとまる家政婦さんはいなくて、わたしが学校を休んで世話をしていました。


1ヶ月学校を休みました。先生も一度も訪問してくれませんでした。父は生活費すら置いていってくれなくて貯金箱のお金で妹のミルクを買ったりしました。


買い物に行って食事の支度もしました。家事全般が8歳のわたしの仕事でした。


今思えば父はネグレクトで逮捕されても仕方ないと思います。


母は下の弟と妹を乳児院に入れると聞いて可哀想だと愛人の支配するおかしな家に帰って来ました。


父は母に愛人に土下座しろと言いました。何度も額に土がついていないと土下座させました。


小学4年生の時に家を新築して父の二重生活は続きました。


愛人と一緒に帰って来た日は愛人は土足で家に上がりました。


お金は全て愛人が握っていました。中学生の時にお昼のパン代が欲しいと父に言ったら同じ車に乗っていた愛人が贅沢過ぎる。家から食パンを一枚ハンカチに包んで持って行きなさいと言ったので父はお金をくれませんでした。


父は進学校に行くことを許してくれず私学のお嬢様学校に行くように言いました。そうでなければ中卒で女工かして働けと言いました。


父に私学助成金が受けたいと言ったら年収が2,000万円あるのに受けられるわけがないと言われました。


高校3年生の2学期には突然東大の医学部医学大学に行く意味ないと言われました。


高校3年生の5月に父は離婚調停を始めました。母が家事を全くしないという理由で無一文で追い出そうとしました。


調停委員に呼ばれて、わたしは父と愛人がどれほど酷いことをして来たか母は家事をちゃんとしていると証言しました。


離婚は不成立で愛人に恨まれることになりました。その後父が母を車の方に突き飛ばしたと妹が泣きながら帰って来ました。


命の危険を感じた母は家を着のみ着のまま出ました。愛人は高校の授業料も交通費も出してくれませんでした。


5時から10時までバイトして何とか高校だけは卒業したいと思いました。目眩がするようになり受診したら過労で絶対安静と言われました。


こんな昔のことを書いても読む人に全く関係ないですよね。


毒親育ちの人でも親が変化して許せるようになった人もいます。父親にずっと暴力を振るわれて来たのに親を許して父親に尽くしている女性もいます。


わたしは心の中で父を許すことが出来ません。わたしの結婚と入れ違いに7年振りに母が弟の看病のために帰って来ました。


愛人に執拗に虐められてメンタルを病んだ母は妹と家を出ました。戻って来て1年半後のことです。


妹の結婚後は母は一人暮らしをしていました。名古屋に帰る時は父のところと母のところの両方に行きました。


母が亡くなった後、父と居酒屋でわたしの奢りで食事をしました。母の話しをしました。


父は母に対して罪悪感は全く無くて被害者意識しかなかったです。末っ子で甘やかされて育った父は反省するということがありません。


わたしも最近夫から、あなたと結婚したせいで僕は不幸になった。本当なら慰謝料取って離婚したいと言われました。


被害者意識しかないところは父と夫はよく似ています。


幸せって誰かに幸せにしてもらうものだとは思いません。もっと主観的なものだと思います。


自分に自覚がないと変われないと思います。信田さよ子の著書に『加害者は変われるか』があります。



自分がDVを自覚して変わりたいと思う人は加害者プログラムを受けて変われる人も少数ながらいるようです。


でも本人に自覚がない場合には変わることは出来ません。


わたしは、しばらく前からアダルトチルドレンとか毒親とか考えなくなりました。


主観的に、わたしは自分のことが幸せだと思います。わたしは夫を幸せにすることは出来ません。誰かのせいで不幸になったと考える人の考え方を変えることは出来ません。






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