わたしが生まれた頃には戦後の影は薄く英語ブームでした。両親はいつも英語の歌を教えてくれました。朝日新聞の緒方竹虎という名前を聞いたのも初めてです。
 
中学生の頃は日教組が強くて愛知教育大学附属名古屋中学校では教科書を使わず資料で自衛隊の違憲裁判の資料を学んでいました。
 
高校生の頃は教師が安保反対に誘導するような授業をしていました。中学生の頃に70年安保がありました。安田講堂に放水する場面もテレビで見ました。
 
学生運動の世代よりもずっと若いです。高校生の現代社会の授業で大方の生徒は教師が誘導するように安保反対の意見を述べていました。
 
わたしは当時から日本はアメリカの植民地みたいなものだと思っていたので安保条約破棄なんて出来るわけがないと意見を言って皆のひんしゅくを買いました。
 
わたしがずっと不思議に思って来たのは何故原子爆弾を落とした国にそれほど憧れるのかということです。敗戦した日本には未だ沖縄と日本各地に米軍基地があります。もう戦後71年も経ちます。
 
でも防衛予算はアメリカの言いなりです。おそらくこの体制で日本から米軍基地が無くなることはないでしょう。戦後史についてリブログした記事から知ることが出来ました。

 

 

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