OL時代、仕事でいろいろな企業に行きました。


企業もいろいろ、社員もいろいろ。


一番イヤだったのは日☓☓井の航空機課。セキュリティチェックがものすごくやかましい上に、担当者がとんでもなく威張りくさって嫌な奴だった。


一番好きだったのは藤倉電線。女性が少ないせいか、行けば常に歓待してくれて、「ゆっくりして行ってね!😀」ニコニコとお茶まで出してくれる。敷地内に巨大なケーブルが置かれていて、毎回見惚れてました。


で、企業のホームページを見るのがけっこう好きです。


最近読んでいるのは、荏原製作所の「世界遺産」シリーズ。


ラジオ📻『四川岷江放送局』をよく聴くので、2000年に世界遺産登録された、四川省の「第9回青城山と都江堰」という記事が興味深かったです。


以下、その記事の要約です。


“『都江堰(とこうえん)』は四川省成都市の郊外に位置する、およそ2200年前に建設されたと言われている水利施設。近くには道教の発祥地として有名な『青城山』がある。この2つは1物件として、2000年、世界遺産に登録された。


まずは『青城山』。


「天下に名山は多けれど、幽玄で静かなること、青城山に勝るものなし」


青城山の由来は、1年を通して森林が青々とし、環状連なる峰々が城郭のように見えることから。1900年前、道教の開祖・張道陵はこの地で洞窟にこもり、厳しい修行の末に不老長寿の秘法を得たとか。その後、開祖を慕う人々により、深山幽谷に道教の寺院が次々に建てられた。山の薬草から漢方薬を作るのも修行の一環であり、目的は不老不死の仙薬を作ること。この漢方薬作りが古代中国の火薬発明につながったと言われる。


そして『都江堰(とこうえん)』。


四川盆地を流れる岷江(みんこう)は、氾濫の絶えない大河川。秦の王は李冰(りひょう)という地方長官に洪水を防ぐシステム作りを命じた。しかし岷江は軍用水路としても使われていて、ダムを作って完全に堰き止める事はできない。

李冰は川を本流と支流に分け、水量を調節する事にした。


ポンプのない時代、どのように水量を調節したのか?


まず川の流れを分断するため、岷江を掘り下げた土砂を川の中央に積み上げて人工の中州、長さ1キロの金剛堤を築く。その中州の堤防の突端の「魚嘴(ぎょし)」で、本流と支流に分け、水量を調節した。支流に流れ込んだ水は、灌漑用水として成都平野に送られる。増水時には、堰の中程にある『飛沙堰』から、本流に自動的に水が戻り、水害を回避する仕組み。


紀元前256年に建設が始まり、約8年後に完成。以来、未開の地だった四川省は、穀物が豊かに実る「天府の国」へと変わり、秦の始皇帝の統一を支えた。


『都江堰』は、今なお、中国史上最も偉大な土木事業と言われており、歴代王朝によって、管理、補強されつつ中国民衆の暮らしを支え続けた。


設計者である李冰は工事途中で病に倒れ、事業は息子に受け継がれたが、この親子を祀るため、都江堰を望む山の麓に『二王廟』という寺院が建てられている。李冰は功績を讃える民衆によって道教の神々に加えられた。”


何ともスケールの大きい話で、2つともほぼ2000年前というのが凄い〜!水量調節の下りは感動してしまいました。😯


私は古い建物を見るのが好きですが、こういう実利的な巨大な施設を見るのは更に好きです。Wiki中国によれば、清明節には李冰親子を記念して放水をするとか。


いつか行ってみたい『都江堰』。😀


※カバー写真は水量調節をする「魚嘴」。建設コンサルティング協会HP よりお借りしました。こちらのHPもオススメ!😀