#じーじとばーばんちの思い出 | 徒然なるままに

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子無し職無しぐうたら主婦の日々のことなど

夫の実家の処分の経緯について家


書こうと思ってはいるものの


記憶の整理ができてない滝汗


というか


なんだかまとまらなくてもやもや


なかなか取りかかれませんあせる





自分の備忘録程度のつもりで


と言いながら


忘れちゃったら話にならないしガーン



近いウチになんとか


書き始めようと思ってますニコニコ





ということで


今回も投稿ネタで




じーじとばーばんちの思い出

 

 

 

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もう祖父母どころか


両親も


おじやおばもほとんど


亡くなっているので


親戚の家に行く機会も無くなって久しいですが





父方の祖父母は


戦時中に亡くなったのかな?


父の生まれ育った家も


空襲で焼けてしまったとかで


父の実家というのは最初から無かったのですが





母方の祖父母の家には


弟が生まれるときに預けられていたりして


色々思い出があります




と言っても


弟が生まれるときに預けられていた時は


古い家だったのですが



私が小学校に入ったかどうかぐらいの頃に


建て替えて


記憶に残っているのはそっちの家の方なんですけどねキョロキョロ




古い方の家の記憶は


居間から鶏小屋が見えて鳥


鶏が卵を生んでいるのを見ながら


義伯母に


『卵食べるか?』


と聞かれて



ウ○チみたいだからやだ~ショボーン


と答えたのが印象に残っている程度




あとは


古い家の斜め向かい辺りに


新しい家を建て始めていて



その家のいとこの兄ちゃんと


建物の前にたくさん積まれた材木に


よじ登って遊んだ記憶がうっすらとキラキラ




材木に座っている写真が残っているから


記憶に残っているような気がしているだけかもしれませんけどね汗






さて


母の実家は商売をやっていて


基本は酒屋でしたが


煙草も売っていて




後に


化粧品を扱うようになってました



私が高校を卒業するときに


そこで化粧品一式揃えて


基礎化粧品分を


義伯母が卒業祝いにプレゼントしてくれて



以来


ずっと同じメーカーのカウンセリング化粧品を使うようになりました







子供の頃の話に戻って



昔は家に電話がある家が


まだ珍しかったのですが



こちらはお店だったせいか


電話があって



ちょっと受話器を耳に当てさせてもらったりしましたが


電話機が置いてあったのが店の方だったので


普段は触ることもできませんでした



大きな家だったけど


後になっても電話機はそこだけにしか無かったんだったかなキョロキョロ





店の前がバス停になっていて


バスの乗車券を売っていた時期もありましたが



あんまり買う人もいなかったようで


いつの間にかやめてしまってました




店先に


クレーンゲームが置いてあって


景品はお菓子でしたが


よくそれで遊んだり



小学校も高学年になってくると


『少しは店の手伝いぐらいしろ』



母に怒られるので



店に出たこともあるのですが




お客さんにタバコの銘柄を言われてもわからなくて


逆に


どれですか?


なんて聞いちゃったりてへぺろ



値段もわからないから


結局家の人を呼ばなければならなくて


あんまり役にはたたなかったかな笑い泣き




そういえば


私にはガミガミ言っていた割に


母が店の手伝いというか


店に出ていたのを見たことは無いです





家の横には線路があって


店のちょっと先が踏切になっていて


それが鳴り出すと


二階に上がっていって


列車が通るのを眺めていました音譜




祖父母が寝起きしている部屋の前に


小さな庭があって


その庭先を列車が走っていく感じだったんですよ





その家の畑が線路の向こう側にあったので


本当は危険だしいけないのですが


その家のいとこの兄ちゃんにくっついて


その庭先から線路を越えて畑の方まで行ったりしましたDASH!






店の横の部屋には掘り炬燵があって


家の人は普段はそこにいるのですが



その掘り炬燵は


電気ではなくて


炭を入れるもので


一応炭の上に網を被せてあったのですが


よく靴下を焦がしてましたメラメラ




小学校5年生で同じクラスになって仲良くなった子がいたのですが


その子の親戚の家の最寄り駅が


私の母の実家と同じ駅で



一度


ふたりでそれぞれに遊びに行って


その子をこっちに呼んだり


私がその子の親戚の家に訪ねていったり


なんてこともありました





友達同士で


親の実家のことを


“ウチの田舎”


と呼んだりしていたのですが



いとこの兄ちゃんに


『ここは田舎じゃないよ!市なんだから』


と反論されたりしましたが



実家を『田舎』と呼ぶのは


東京近郊の人だからなのかなキョロキョロ



とはいえ


私がまだ新婚の頃


パート先で一緒になった学生バイトさんに


『田舎はどちらですか?』


と聞かれて



どう見ても実家の方が都会だったので


変な感じがした覚えがあります



今でもそんな言い方をするのかな??




コロナ禍の中


母の実家の義伯母が亡くなったという連絡がありましたが


行動制限の中


行くことはできず



もうホントに久しく行ってないのですが




何気にGoogleマップで写真を見たら


もう建て直されて


すっかり昔の面影は無くなっていました



一応『○○商店』で検索できるけど


お店にはなってないように見えますね




親戚同士で交流を続けていける方もたくさんいらっしゃるでしょうが


私の場合は


もうほとんどわからなくなってしまいました



嫁に出てしまうとなおさらなんでしょうね




私の親の世代は


兄弟姉妹で8人とか


その結果


たくさんのおじさんおばさん


いとこがいたのですが



私の世代だと


せいぜい2~3人兄弟




そして夫も一人っ子だし


我々に子供はいないし




この先


少子化が益々進んだら


親戚というものがほとんど無くなってしまうのかもしれませんね




賃貸に住む手続きとか


入院するときとか


なんとか弟に保証人をお願いしているけど


血縁者で保証人になれる人がいない


というケースだって増えてくるでしょうね



保証人システムは見直しが必要になりますね




それはともかく




少子化対策は


ホントにしっかりやってくれないと


国が無くなってしまいますよね叫び



子無しの私が言えた義理では無いですが


若い世代の皆さん


なんとかお願いしますよ(>人<)






何の写真も無いのもつまらないので


新作チョコ発見




9月に入って


そろそろチョコレートの新作も出てくるかな




それにしても


年月の過ぎるのが早いこと早いことあせる





長々とすみませんm(__)m




ではではパー