若冲 | 翠川真 Blog

若冲

フェルメール展と特別展「対決―巨匠たちの日本美術」

を見に行った。前述フェルメール「絵画芸術」の奇跡は、来なかったようだ。

以前見ておいて本当に良かった。奇跡は度々ない。 (ウィーン美術史美術館が貸し出しを渋った。)


17日閉幕の「対決―巨匠たちの日本美術」は32万人の来場で
大盛況のようだった。16日にいったが20分待ちの行列。
円空の天才、光悦の寂びて、かつ華やかな楽茶碗、光琳の軽妙洒脱、
雪舟の禅気あふれる水墨画。運慶の端正な造形感覚。いずれも国宝・重文ばかり。
しかし私が最も注目したのはは若冲 であった。


日本美術史の中で哲学的名前を持つのは、若冲 だけだろう。
この名前は「老子」第45章からとられている。


大成若缺、其用不弊。大盈若冲、其用不窮。
大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。
躁勝寒、靜勝熱。
清靜爲天下正。


最も完全なものは、欠けているように見えるが、
その働きは、衰えることがない。
最も充満したものは、空虚に見えるが、
その働きは、尽きることがない。
最もまっすぐなものは、曲がって見え、
最も巧妙なものは、へたくそに見え、
最も雄弁なものは、口下手のように見える。
躁は寒に勝ち、静は熱に勝つ。
清らかで静かなものが、天下の正である。


大盈若冲、其用不窮。「最も充満したものは、空虚に見えるが、その働きは、尽きることがない。」




「旭日鳳凰図」が見れた。 (部分拡大図)



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私は学生時代に「老松白鳳図」 を模写したことがある。 (大判参照)


まだ若冲ブームの前で、資料を探すのに大変苦労をした思い出がある。
鳳凰のとさかのを描き始めた所で、完全な模写は不可能だと諦めた。
とさか部分の形態の勢いが持続して、画面全体と有機的な繋がりを持ち、
心の隙を作らず、気迫が充満していたからだ。


若冲は裕福な商家であったが40歳で家督をすぐ下の弟に譲って、一切を捨て、相国寺に隠居してしまう。
その後は相国寺に絵と米とを交換条件に住み、85歳の天寿を全うする。


現在はフラクタル(自己相似の幾何学的概念)、複雑系が科学に大きく
影響を与えている。若冲はそれを先取っている。
禅的思考は「侘び寂び」の境地も超え、自在の心の動きを探った。


現代、何故、若冲なのかと問われれば、そのような自然に隠れた数学的法則を、

直感で見抜いてたという所につきる思う。

若冲の極限の連続した、集中力は鳳凰の羽、水しぶき、葉一枚にまで宿り、旭日に怪しく咆哮する。





これらの充満して尽きることない鳳凰は、
今日に至っても若冲自身と重なり、旭日に挑むように咆哮し続けている。





よろしかったらくりっくを


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