タバコの煙がこんなにも幸せだと、知らなかった。
できれば、その煙が途切れる前に、あなたとキスがしたい。
換気扇の下で、壁にもたれて遠慮がちにタバコをくわえるあなたの姿を、何度探しただろう。
定位置にある灰皿とライターと、残り1本のタバコの箱。
何度見たって、変わらないのに。
リビングのラグの上で、猫みたいに寝転がるあなたとか。ダイニングテーブルで向かいあってごはん食べてるあなたとか。ベッドの上で、体寄せて何度も撫でてくれたあなたとか。
嘘みたいに、いなくなる。
きっと、ずっと一緒にはいられないね。
でも、一緒にいられる限りの”ずっと”いる事、誓う。
やみくもに、一生愛してるって言えた学生時代は、幸せだったのかもなぁ、なんて、2人で笑ってた。
出会うのは、一瞬で、理由もなく、まるでずっといたみたいな顔で、自分の人生に他人が割り込んでくる。
あなたにとって、私はその”他人”のひとりで。
どんなにあなたの近くに来れたと思っても、”他人”の距離は埋められなかったのかな。
「何もかもを疑わずにいる事はできない。」
いつかあなたが言ったね。
私も、私の存在も、気持ちも、何もかも、あなたは疑いながらいたのかな。
私が勝手に、あなたは心を開いてくれてるって、思い上がっていたのかな。
2人の写真で埋まったコルクボード。
好きだよの文字。
嘘じゃないよ、嘘じゃないよ、繰り返したって、ここにあなたがいなきゃ本当だって思えないよ。
あなたが私から離れたのは、私を傷つける為じゃない。
それだけはわかる。
人を傷つけるなら、自分が傷つきたいって言ってたあなただから。
連絡が取れなくなった時、信じられなかった。
体調が悪い?忙しい?思い当たるありきたりな理由を並べたけど、いつもすぐ返信をくれるあなたは、そういうんじゃないって、理解はしていた。
私はこの部屋に亡霊のように残ったあなたと過ごしながら、なす術もなく泣いた。
よく笑うなぁってあなたが言ってくれた私はいなかった。
笑ってたのは、あなたといるのが嬉しかったからだよって、言いたいのに。
もう、言えない。
あなたに言えたのは、これだけ。
「過去は全部捨ててきた。」
「今が過去になったら、捨てる?」
ねぇ、あの言葉は本気だったの?
捨てられるはずないのに、すっごく意地悪に笑ってるんだもん。
抱きしめてくれるまで、息、できなかった。
あなたと過ごすはずだった時間の大半は、あなたを想う時に流れた。
予感はあるのかもしれない。
あなたと出会った時、きっと、もっと、好きになっていけるって思えたように。
電話が鳴った。
よくわからない雑音に耳をすます。
「もしもし…」
あなたの、声。
私のもの。
早くこの陽だまりに帰ってきて。
なんにもいらないから、ここにいて。












壊して壊して壊して。

壊れるくらいなら、最初から無ければいいのに。

「俺ぇ、クラッシャーって言われんだよね。寝取るのが上手いから。あんたも俺に寝取られてみない?」

女はじっと俺を見ていた。

ふいに肩にかかる髪の毛を指先で撫でられた。

「痛んでるね。きっと、ずっと、痛かったんだね。」

何が?何を、言ってるんだ?

「私、あなたの名前を呼びたい。クラッシャーじゃなくて、ほんとの。」

「皇、皇帝の、皇。」

「それだけ聞くと、独裁者みたいね。」

女は、俺の腕の中で、何度も名前を呼んだ。触れる度に、揺れる度に。

心臓の位置に指を置かれて、ゆっくりと息をする。

「残念だけど、私は皇に名前を呼んでもらえない。」

「なんで?教えてくんないの?」

女の指を掴んで、キスをする。

「私を抱く時に私の名前を呼んでいいのは、好きな人だけだから。」

なんだソレ。俺はまた、好きな人から、女を寝取っただけか?

「そいつはあんたを抱く時、呼ぶんだ?」

「…うさぎって呼んで。皇にはそう呼ばれたい。」

女はじっとこちらを見つめながら、涙を零した。

「うさぎちゃん、なんで泣くの?」

「皇が悲しんでるから。クラッシャーだなんて口説き文句も、そんな自分も、壊れる関係も、何もかも。でも、壊れないものもあるんだよ。」

うさぎちゃんは、俺の背中をきつく抱きしめて、嗚咽を漏らした。

壊れないものなんてないだろう。

この世は諸行無常、皆、平等に無意味。

「私は壊れたりしない。」

「俺に抱きつきながら言っても説得力ぜろじゃん。」

「私が死ぬ時に、わかるよ。でも、その時は皇とはいないから。」

「好きなヤツといるって?」

「ううん、ここは、壊れたりしないという証明は死して成し得る。」

うさぎちゃんの震える手が、心臓の位置に置かれた。

俺は赤くなったうさぎちゃんの目を見つめ、何がうさぎちゃんの心にあるのか、知りたくなった。

死して成し得る、何かから、うさぎちゃんを寝取る事は、可能?…不可能?

「うさぎちゃん。」

「うん。」

「また俺に抱かれてよ。ここは、どこかに置いてきてもいいからさ。」

うさぎちゃんの柔らかい胸に手を当てると、両手でぎゅっと包み込まれた。

もしも俺がうさぎちゃんを好きになる日がきても、きっと本当の名前を知る事はないだろうという、予感。

「皇、皇。」

うさぎちゃんは俺の名前を呼んでいるようで、呼んでいない。

俺の知らないスキナヒトの残像を愛おしむような声。

今もうさぎちゃんはその声で俺を呼ぶ。

「皇、今日泊まってもいい?」

俺は漫画を読みながら、ふぅーん、と気のない返事をする。

「それ、どっちなの。もう。」

機嫌が悪くなったうさぎちゃんは、玄関に向かう。

「うーさぎちゃん。」

すぐに追いつく。

「皇。」

「なぁに?」

「皇〜。」

「もっと、呼んで。」

壊れないものはあるのか?

未だにわからないし、壊れるものは壊してしまいたい。

「皇。」

うさぎちゃんが俺の両手を握った。

「痛いの痛いの飛んでけー。」

痛いままでも、悪くないと思った。

ここに、俺の壊れた心を知っている人がいるから。














大人になったいっちゃんへ感謝を込めてー



あの日、私、やっぱりやり直したいって、君の事、大好きだって言いたかったの。

だけど、君が下向いたから。

もう、ダメなんだと思って、何にも言えなかったんだよ。

私達なら、ずっとずっと遠く離れても、大好きでいられるって、思った。

会えなくても2人でいられると思った。

だけど、現実は感情とは違うんだね。

せめて素直に泣けばよかった。

君の名前呼んで、泣けばよかった。



でも、私が思い描いた、私じゃない相手との幸せな君の未来が、今ある事。

君があの頃、私に宣言した夢を叶えた事。

それは、2人の時間や気持ちを取り戻す事より、大切な事。



私、死ななくてよかった。

未来の君の声を聞けたから。



あの頃、言えなかった「大好き」が言えたから。

君は変わらないね。

俺の方が大好きだって。

全部、俺の方が幸せで嬉しくて楽しくて大好きな君は、私にはいつも希望だった。



君がいてくれたから。



幸せだった、と話せる過去があるなら幸せで。

そんな話ができる相手がいるなら幸せで。

きっとそんな過去につくられた今も幸せで。



君に、感謝する。

きっと、一生、感謝する。

どこにいても。







~終~






あの頃の僕達の、僕の、話は尽きる事はない。

今でも数少ない彼女の写真を見て、恋を取り戻す時間もある。

彼女がくれた僕の未来は、あの頃の僕が望んだものじゃなくて、幸せな結婚と夢を叶えて一等地に料理屋を出す事になって、きっと一生彼女だけがいない日々が僕にとっての現実なんだろう。

でも、時々無性に彼女の温度が恋しくなる。

暴君のような言動に振り回されたくなる。

ほんの少しの何かが違えば、僕はまだ彼女といられたのかな。

僕は自分が傷つくのが怖くて、彼女をずっと抱きしめていられなかなった。

どんなに罵しられたって、暴れたって、僕はそうしているべきだったのかもしれないのに。

後悔は、ない。

もしも死んでしまう事と、ずっとずっと遠くに行ってしまう事がイコールになったとしても。

ねぇ、彼女を愛する僕は死なないから。














あれ以来、彼女に会う事はもちろん、連絡も取らなかった。

それが自然な流れだと思ったし、僕自身、上京したては右も左もわからず余裕がなかった。

何人かは知り合いがいたが、人間関係を構築していったり、仕事に追われたり、一人暮らしの家事に追われた。

帰りたいな、と思った事がないわけじゃない。

だけど、僕は彼女に言ったから。

僕の人生を、夢見たものに必ずしていくと。

強く意識はしていなかったが、彼女のおかげで、僕は強くありたいと心から思えていた。

しばらくして、いくつか恋をして、昔話なんかした事もある。

僕の語る彼女はいつも美人で、いつも女王様で、いつも大好きだった。

だけど、過去として笑い話になった時の、心の空洞は今も埋まらない。

目の前の恋人が大好きなはずなのに、やっぱり僕は彼女しか好きじゃなかった。

今でもどこか、彼女に好きになってもらえる自分を探しているような気がする。

でも思うんだ。

きっと彼女なら、こんな僕を馬鹿ねって笑い飛ばして、他の男とヨロシクやってるんだろうなって。

じゃあどうして他の男なら彼女の隣にいられて、僕はいられなかったの。

いつか彼女がひとりになった時、僕は彼女の隣にいよう。なんて、叶える気のない気持ちが空回りしていた。