「魂の似顔絵」描いています。
お一人お一人お顔が違うように魂も違います。
そのあなただけの魂のメージを絵に描いてお渡しします。
また、あなただけの似顔絵が誕生した由来の
ちょっとしたメッセージも付けてお渡しします
詳しくは ↓ こちらを・・・
http://ameblo.jp/midoriecoban/entry-11355110438.html
気付いたことの補足・忘備録・・・
自分が思い描いていた人とは違っていた誰か
たとえば、久々に会った親戚・幼馴染・友人・親・兄弟・・・etc
あれ???と思うことってある。
こんな人だったったけ?とか・・・。
始末に悪いのは久々に出会った人が不幸せそうだった場合・・・
なぜか自分のせいのように思えてしまうのだ・・・
(人によっては面白がる人もいるかもしれないが
ここではあえてそういう人は読んでいないという前提で・・・)
それは、おそらく人の不幸せを敏感に感じ取ってしまい、
あたかも自分の不幸せのように感じてしまう「エンバス」の場合・・・。
自分がどうにかしてあげないといけないのではないのかと
錯覚してしまうのだ。
しかし、人と過去は変えられない。
厳しいようだけれど人は自ら選んで
今の自分の人生を生きているのだ。
それを肩代わりしようとしたり、
また、そのつらい気持ちと同じ状況に自分を追い込んだり・・・。
しかし、実際肩代わり等のことは無理であって、
また、その人の人生(経験)を奪ってもいけないのだ。
そして自分が期待していた通りの人(状況)でなかったと思い、
落胆するということは
自分の「こうあったらいいな」という思い・エゴなのだ。
結局、人に自分のエゴを押し付けていることなのだ。
自分のエゴ通りの人(期待した通りの人)でなかったから落胆するのだ。
そもそも人はどんな状況であろうとも
自らが選んだということを前提に私は考える。
人から見てもきっと当事者からしても
過酷すぎるよ~と思うような状況・人生だったとしても
それも自らが選んだのだ。
だからよそから口出しする問題ではないし、
肩代わりなど問題外なのだ。
出来ることと言ったら、
その人の話をちゃんと親身に聞いてあげること・・・それだけだ。
そして、人・人の人生を感嘆と称賛をもって尊敬することだけだ。
最近身内の状況が騒がしいことから、気付いた事。忘備録として。
おわり
ありがとうございました