竿頭進歩 百尺竿頭如何が歩を進めんという禅語です。向上の修業を完成し、見性の目を開いたとしても十分でなく、この悟りの境地に留まることなく、さらに進んで衆生救済のために、全身全霊娑婆に生活することとされる。

先も回りも見えず、暗中、夢中 まさに百尺竿頭と正反対の状況、竿頭進歩に身を翻した霧中の一歩如何なものか。

このように、時たま入門禅書等に親しむとその厳しさと奥深さに圧倒されます。そして 凡夫はこの圧倒に感激し何かを共有したように錯覚します。錯覚は困ったものですが、この感激を先師,先哲の清風と感謝しています。

清風に感謝すると同時にその源に関心を寄せるのだが、似て非なるものであるが、宗助同様(事情は異なる)その門の下に立ちすくみ、日の暮れるのを待つのみであります。

2004年12月