私は英語の教師もしています。あるとき、知り合いの大学生、社会人に週に1回、英語を教えていたことがあります。
社会人の友人たちは喜々としてレッスンを受けていました。「へえ~」「そうなんだあ!」「知らなかったなあ!」と言いながら。
2ヶ月もしたら、
ひとりの社会人は、「オレ、映画の英語の台詞がわかるようになったよ!字幕も見ることができるようになって、おれやったらこう訳すのになあとまで考えることができるようになった!」
他の社会人は「洋楽で英語の歌が歌詞カードなしでもわかるようになった!今度、外人ミュージシャンと話すのが楽しみや!」、もう一人の社会人は、中学のときほとんど学校へ通っていなかった。その人は「ことばがわかるようになるって愉しいなあ」
私がすごい英語の教師だということがいいたいのではないのです。大学生たちは大した感慨もなく勉強していたのですから。
知り合いたちっていうのは、一緒にコンサートを企画して主催していた仲間たち。音楽も映画も趣味というより、仕事みたいなものでした。
大学でも非常勤として英語を教えてきました。英語の単位がとれず、私のクラスを何回もとっている学生も多くいました。なんせ英語は必須科目ですから卒業するためには取得しなければいけない単位なのです。単位がとれない理由は出席回数が足らないから。だいたい出席できない理由は、朝、起きることができないからでした。
ある4回生、その年、英語の単位をとらなければ卒業できないかったのです。その女の子がこういいました。「みどりさん、バイトやったら、朝、起きれるのに、授業やったら、起きれへんのは、どうしてやろう?」
若い頃、私はニューヨークの大学院の修士課程で文化人類学と教育ということを専門で勉強していました。ニューヨークで今は有名な社会学者、上野千鶴子さんとひょんなことから知り合いました。私は学期末が近くて、レポートを書くために図書館に行かなければいけませんでした。
その時、上野さんが私の部屋に泊まっていて、「それじゃあ、私がまめのスープを作って待っていてあげるからね!」と。
私は、「図書館に勉強に行ってきま~す」
そのとたん、上野さん、「みどりさん!仕事に行ってきますと言いなさい!」
私、とまどいながら「はぁ~い、仕事に行ってきます」
心の中で「私なんか、まだ修士課程の1回生だし、これからどんな仕事をするか、わからない!これが仕事につながるかどうかもわからないのに、仕事?」
京都に来てから、大学の非常勤講師の採用の面接のとき、知り合いの大学教授に、「どうやって英語を勉強したの?」
私のことを大学生の頃から知っている人なので、心の中で「どうやってといっても、日本の大学とアメリカで、大学院も行ったし。そんなこと知っているはずなのに、何を聞いているんだろう」と思いながら、それを聞いているのではないことはわかっていたので、
「ええ、アメリカで。連れ合いは英語ができない人だったので、彼のレポートを英語に訳したり、卒論も私が英語にしてタイプも打って仕上げました。それは勉強になりました。それに年上の私は英語もできたので、日本人学生の世話をしたりしたので、仕事ではないけれど、そんなことをしていたから。」
教授、「ああ、仕事をすることで勉強したんだね。」
独り言のように、「やっぱりなあ。仕事をしたほうが勉強になるなあ」
仕事ってなんなんでしょう。
労働の対価として収入を得ることができる労働のこと?
職業のこと?
学生だと、面白くなくて、社会人だと、面白いと感じるってどういうことなのでしょうか。
仕事だと、朝、起きることができて、勉強だと、朝、起きれないとはどういうことなのでしょうか。
今、このブログを書いているのは、仕事なのか、趣味なのか、勉強なのでしょうか。
私は何をしているのかと考えるとき、いつも思い出すんです。
上野千鶴子さんの「みどりさん!仕事に行ってくるっていいなさい!」ということば。ありがとう上野さん。きっとあれ以来、私がすることはすべて仕事と思って生きてこれたから、愉しく生きてこれたような気がします。
今、アレクサンダーテクニークの教師になろうと勉強をしている人から「みどりさんって、教えるのに愉しそうにしていますよね」と言われます。
「仕事だから!だから愉しんです!」
社会人の友人たちは喜々としてレッスンを受けていました。「へえ~」「そうなんだあ!」「知らなかったなあ!」と言いながら。
2ヶ月もしたら、
ひとりの社会人は、「オレ、映画の英語の台詞がわかるようになったよ!字幕も見ることができるようになって、おれやったらこう訳すのになあとまで考えることができるようになった!」
他の社会人は「洋楽で英語の歌が歌詞カードなしでもわかるようになった!今度、外人ミュージシャンと話すのが楽しみや!」、もう一人の社会人は、中学のときほとんど学校へ通っていなかった。その人は「ことばがわかるようになるって愉しいなあ」
私がすごい英語の教師だということがいいたいのではないのです。大学生たちは大した感慨もなく勉強していたのですから。
知り合いたちっていうのは、一緒にコンサートを企画して主催していた仲間たち。音楽も映画も趣味というより、仕事みたいなものでした。
大学でも非常勤として英語を教えてきました。英語の単位がとれず、私のクラスを何回もとっている学生も多くいました。なんせ英語は必須科目ですから卒業するためには取得しなければいけない単位なのです。単位がとれない理由は出席回数が足らないから。だいたい出席できない理由は、朝、起きることができないからでした。
ある4回生、その年、英語の単位をとらなければ卒業できないかったのです。その女の子がこういいました。「みどりさん、バイトやったら、朝、起きれるのに、授業やったら、起きれへんのは、どうしてやろう?」
若い頃、私はニューヨークの大学院の修士課程で文化人類学と教育ということを専門で勉強していました。ニューヨークで今は有名な社会学者、上野千鶴子さんとひょんなことから知り合いました。私は学期末が近くて、レポートを書くために図書館に行かなければいけませんでした。
その時、上野さんが私の部屋に泊まっていて、「それじゃあ、私がまめのスープを作って待っていてあげるからね!」と。
私は、「図書館に勉強に行ってきま~す」
そのとたん、上野さん、「みどりさん!仕事に行ってきますと言いなさい!」
私、とまどいながら「はぁ~い、仕事に行ってきます」
心の中で「私なんか、まだ修士課程の1回生だし、これからどんな仕事をするか、わからない!これが仕事につながるかどうかもわからないのに、仕事?」
京都に来てから、大学の非常勤講師の採用の面接のとき、知り合いの大学教授に、「どうやって英語を勉強したの?」
私のことを大学生の頃から知っている人なので、心の中で「どうやってといっても、日本の大学とアメリカで、大学院も行ったし。そんなこと知っているはずなのに、何を聞いているんだろう」と思いながら、それを聞いているのではないことはわかっていたので、
「ええ、アメリカで。連れ合いは英語ができない人だったので、彼のレポートを英語に訳したり、卒論も私が英語にしてタイプも打って仕上げました。それは勉強になりました。それに年上の私は英語もできたので、日本人学生の世話をしたりしたので、仕事ではないけれど、そんなことをしていたから。」
教授、「ああ、仕事をすることで勉強したんだね。」
独り言のように、「やっぱりなあ。仕事をしたほうが勉強になるなあ」
仕事ってなんなんでしょう。
労働の対価として収入を得ることができる労働のこと?
職業のこと?
学生だと、面白くなくて、社会人だと、面白いと感じるってどういうことなのでしょうか。
仕事だと、朝、起きることができて、勉強だと、朝、起きれないとはどういうことなのでしょうか。
今、このブログを書いているのは、仕事なのか、趣味なのか、勉強なのでしょうか。
私は何をしているのかと考えるとき、いつも思い出すんです。
上野千鶴子さんの「みどりさん!仕事に行ってくるっていいなさい!」ということば。ありがとう上野さん。きっとあれ以来、私がすることはすべて仕事と思って生きてこれたから、愉しく生きてこれたような気がします。
今、アレクサンダーテクニークの教師になろうと勉強をしている人から「みどりさんって、教えるのに愉しそうにしていますよね」と言われます。
「仕事だから!だから愉しんです!」