明日は母の日。遠く、離れているので感謝をこめてこのブログを書きます。
今年の2月に岡山の実家の母が入院しました。
もともと40年ほど糖尿病。糖尿病教室に行っていてよく勉強して自己管理のできていた人でした。だから長い間、病気のわりには目もよかったし、足も壊死にもならず、そこそこ元気でした。時々、肺炎になって入院することはあったので、そんなに心配してはいませんでした。
病院に見舞いに行って、「どうして入院したの?」と聞くと、「うん、わからない。どうしたんじゃったかなぁ?」と言います。看護士、医師に聞くと、認知症で食事を十分にしていなかったのと、毎日決められた薬をのまず、インシュリンを毎日、きちんとうっていなかったので血糖値があがっていたので入院してもらったとのこと。
もうびっくり!あんなにきちんとしていた人が!
それからは病院のソーシャルワーカーの人と相談して介護保険の申請をしたり、介護ステーションのケアーマネージャーの人と介護のプランをたてたりと大慌て。
退院が決まっていよいよ介護ヘルパーさんがやってきて、食事の用意をしてくださったり、薬をのむのとインシュリンをうつことの見守りが始まりました。
ところが、介護ヘルパーさんになかなか慣れてくれないのです。
私が実家に行くと、キッチンにでてきてごそごそしているので、
私:「どうしたの?」と聞くと、
母:「うん、どうしたんかなあ」と。
ちょうど昼食の頃なので、
私:「ヘルパーさんが作ってくれているお昼ご飯を食べる?」と聞くと、
母:「ええ、それ、私の?」
私:「そうよ!」と言って、お味噌汁を温めてだすと、
母:「ああ、お腹がすいていることに気がつかんかったわ!」
糖尿病ですから、食事をとっていないと低血糖をおこす危険性があるのです。
私:「よかったねえ、ヘルパーさんが食事をつくっておいてくれて」というと、
母:「何を言よんでえ!ご飯は私がつくったんじゃがぁ!」
私:「はぁ?」
私もやっと母の認知症の症状がわかってきました。
ヘルパーさんをやめさせてくれと私に懇願する母になんとか自分の状態をわかってもらって、介護が必要なことを納得してもらおうといろいろと試みるも、これが難しいのです。
やっと「そうかあ!これが認知症なんだ!」と。
とにかく退院してから、食事も薬もインシュリンもヘルパーさんたちのおかげで元気になっているので、電話で話をした親戚の人たちは、
「元気そうじゃったがあ。全然、ぼけたりしてなかったよ!」と。
そうなんです。話をしていると声が元気で活力があるのです。
自分の状態を認めさせようと一生懸命、努力していたのですが、自分で自分の状態がわからないのが認知症なのだということがわかってきました。
認めることって難しい。
認めさせようということは私のエゴ。
わからせようとする私のエゴ。
ケアーマネージャーさんは言います。
「自分で自分の状態がわからなくてもいいのです。なんとなくこの状況になれていけばよいのです」と。
「わかって(気づいて)、状態を納得して(受け入れて)、それを積み上げて、つぎのステップへと」
これは普通の学習のプロセスと同じ。
そのプロセスをふませてあげたい。
いいえ、私の本音は「そのプロセスをふませたい」
これは教師としての私のエゴだということにやっと気づいた私。
そんなふうにはいかないらしい。
テーィチングもそうなのだ。わからせてあげることはできない。自分で気づくしかできない。
といつも、アレクサンダーテクニークの教師になるための訓練をしている人たちに言っているのに。
なんの教師も生徒に「わからせることはできない」
生徒が自分で学ぶしか。
頭でわかっているだけだった私にこんな重要なことを教えてくれたお母さん、ありがとう!感謝します。
私が一番、わからなければいけないことを教えてくれたお母さん、ありがとう!
今年の2月に岡山の実家の母が入院しました。
もともと40年ほど糖尿病。糖尿病教室に行っていてよく勉強して自己管理のできていた人でした。だから長い間、病気のわりには目もよかったし、足も壊死にもならず、そこそこ元気でした。時々、肺炎になって入院することはあったので、そんなに心配してはいませんでした。
病院に見舞いに行って、「どうして入院したの?」と聞くと、「うん、わからない。どうしたんじゃったかなぁ?」と言います。看護士、医師に聞くと、認知症で食事を十分にしていなかったのと、毎日決められた薬をのまず、インシュリンを毎日、きちんとうっていなかったので血糖値があがっていたので入院してもらったとのこと。
もうびっくり!あんなにきちんとしていた人が!
それからは病院のソーシャルワーカーの人と相談して介護保険の申請をしたり、介護ステーションのケアーマネージャーの人と介護のプランをたてたりと大慌て。
退院が決まっていよいよ介護ヘルパーさんがやってきて、食事の用意をしてくださったり、薬をのむのとインシュリンをうつことの見守りが始まりました。
ところが、介護ヘルパーさんになかなか慣れてくれないのです。
私が実家に行くと、キッチンにでてきてごそごそしているので、
私:「どうしたの?」と聞くと、
母:「うん、どうしたんかなあ」と。
ちょうど昼食の頃なので、
私:「ヘルパーさんが作ってくれているお昼ご飯を食べる?」と聞くと、
母:「ええ、それ、私の?」
私:「そうよ!」と言って、お味噌汁を温めてだすと、
母:「ああ、お腹がすいていることに気がつかんかったわ!」
糖尿病ですから、食事をとっていないと低血糖をおこす危険性があるのです。
私:「よかったねえ、ヘルパーさんが食事をつくっておいてくれて」というと、
母:「何を言よんでえ!ご飯は私がつくったんじゃがぁ!」
私:「はぁ?」
私もやっと母の認知症の症状がわかってきました。
ヘルパーさんをやめさせてくれと私に懇願する母になんとか自分の状態をわかってもらって、介護が必要なことを納得してもらおうといろいろと試みるも、これが難しいのです。
やっと「そうかあ!これが認知症なんだ!」と。
とにかく退院してから、食事も薬もインシュリンもヘルパーさんたちのおかげで元気になっているので、電話で話をした親戚の人たちは、
「元気そうじゃったがあ。全然、ぼけたりしてなかったよ!」と。
そうなんです。話をしていると声が元気で活力があるのです。
自分の状態を認めさせようと一生懸命、努力していたのですが、自分で自分の状態がわからないのが認知症なのだということがわかってきました。
認めることって難しい。
認めさせようということは私のエゴ。
わからせようとする私のエゴ。
ケアーマネージャーさんは言います。
「自分で自分の状態がわからなくてもいいのです。なんとなくこの状況になれていけばよいのです」と。
「わかって(気づいて)、状態を納得して(受け入れて)、それを積み上げて、つぎのステップへと」
これは普通の学習のプロセスと同じ。
そのプロセスをふませてあげたい。
いいえ、私の本音は「そのプロセスをふませたい」
これは教師としての私のエゴだということにやっと気づいた私。
そんなふうにはいかないらしい。
テーィチングもそうなのだ。わからせてあげることはできない。自分で気づくしかできない。
といつも、アレクサンダーテクニークの教師になるための訓練をしている人たちに言っているのに。
なんの教師も生徒に「わからせることはできない」
生徒が自分で学ぶしか。
頭でわかっているだけだった私にこんな重要なことを教えてくれたお母さん、ありがとう!感謝します。
私が一番、わからなければいけないことを教えてくれたお母さん、ありがとう!