アレクサンダー・テクニークではことばと手をつかって教えます。


厳密ないい方をすると、それに視聴覚教材、周りの環境、そこにいる人たち、私達の外の世界を知るための五感など、ほかにも教える手段はあります。

教師のことばの使い方が生徒あたまに作用して、身体の緊張の軽減をし、手を使って身体での経験を確かなものにします。そのために教師のことばの使い方が重要な役割を果たすと私は考えています。

たとえば、「首が楽になると思ってください」と私は言いますが、これを「首を楽にしてください」と言えば、生徒は一生懸命、首を楽にしようとして、いろいろと動かし、余計緊張することになります。また、「首が楽になると思ってください」というと、生徒は「首を意識するのだ」と思ったりします。「意識する」となにか緊張感がともなうのです。

「意識をする」という動詞をつかって文章をつくってみてください。どんな文章になるでしょう。

たとえば「好きな人を意識する」「先生を意識する」「怪我をした指を意識して使ったので疲れた」というような文章はいかがでしょうか。そのどれも多少の緊張感がただよってはいないでしょうか。

そして、そのどの文章のときも、発言をしている人の注意は内側に向いているのではないでしょうか。


アレクサンダーテクニーク教師としては、生徒の方々に自分自身と外の世界とを同時に注意を向けながら、「首が楽になっていく」と思ってほしいのです。このことについては、また書きたいと思います。


通訳の時に、英語で「What would happen if you think you letting your neck to be free? 」と言われたので、「もし首が楽になると思ったらどうなるでしょうか」と通訳すると、英語で話している教師から、「何かがおかしいわ!」と言われ、「どうなるのでしょうか、もし首が楽になると思ったら」と通訳すると、「この方がいいわ!」と言われたことがあります。

意味的にはたいして違わないことばでも、頭に入ってくる順番が異なると身体に及ぼす影響が異なってくるのです。

身体の緊張を解き放すときに「思う」ことばの選択は大切です。できるだけ建設的なことば。肯定的なことばを使ってみましょう。