令和元年の初観劇は劇団四季『ユタと不思議な仲間たち』です。
この公演は浅利慶太追悼公演です。
浅利演出事務所 - 公式サイト
http://www.asarioffice.com/久々の自由劇場です。
この作品で私がもっとも印象的な場面は、ユタが父親が亡くなり東京から母親の故郷に引っ越ししてきて、転校先のワルガキどもの同級生にいじめられ、ペドロ一家(座敷わらし)と出逢い
「死にたい…」
と、ペドロにポツリと話すと
「生きているって素晴らしい」
と、ペドロが諭す。
生まれても生きることが出来ず、この世にもあの世にもいられず、座敷わらしにならざる得なかったペドロの言葉の重さです。
ペドロが言う「生きているってすばらしい」の言葉は私に投げ掛けてくれたメッセージではないかと勘違いしてしまうほどでした。
観劇した観客の皆様は自分に言ってくれたメッセージだと思うでしょう。
幾度となく観劇した『ユタと不思議な仲間たち』ですが、病気になってからのそのメッセージの意味が深く突き刺さります。
ダンジャ・ゴンゾ・モンゼ・ヒノデロの4人の座敷わらしも生きることができなかった時代背景があり、ユタは人を蔑みせず、先生にも母親にも弱音を吐かず、ユタの頑張りに力を貸す関係は仲間という絆となって、ペドロ一家からいろいろ学びユタは変わっていきます。
最後はワルガキども(大作・一郎・新太・たま子・ハラ子・桃子)と対決して仲間となり、ペドロ一家は住まいがビルに建て直されるを知り、住まいを替えるためユタのそばから去って行きます。
座敷わらしが住みにくい、これも時代背景ですね。
ペドロが片思いしている小夜子に別れの挨拶をすると、小夜子は何か気配を感じて「私も誰かに守られていた。」と目には見えないけれどそばにいてほしい~と「夢をつづけて」と熱唱する姿は心打たれました。
地方公演ではないから、客席と一緒に「ともだちはいいもんだ」は合唱はありませんでしたが、幾度も続くカーテンコールでユタ役の山科涼馬くんがペドロ役の下村青さんと小夜子役の若奈まりえちゃんをふたりの手を結び付け合わすと、客席から割れんばかりの拍手喝采がおきました。
ペドロの想いが通じた瞬間でした。
歴代の公演を観劇してきてこんな終演はなかったので、良いものを観ました。
最後のカーテンコールで緞帳が下がる時にも、ペドロが小夜子の隣に寄り添う
小夜子にペドロが引き寄せられるようにくっつき、若奈まりえちゃんは笑っていました。
下村青さんは劇団四季に在団中にはヒノデロ
を演じていました。
私の願望として美声の色っぽいおねえ言葉の下村さんのヒノデロをもう一度観劇してみたいですね。
ペドロの登場シーンでのレーザー演出や梅雨の季節の雨降らしの演出では、昔と変わらないワクワクした気持ちになりました。
上記にも書きましたがペドロの「生きているってすばらしい」は原作者三浦哲郎の兄姉の影響もあるのではないかと推測します。
三浦哲郎が幼い頃、長兄は家業事業が上手くいかず失踪、次姉は弱視を気にして服毒自殺、長姉は受験に失敗して投身自殺しました。
次兄は家業を継ぎますが事業が失敗して失踪、大学の学費が払えず三浦哲郎は故郷に帰り、助教諭として働きますが、弱視の三姉がお琴の先生として家計を支えて再度大学へ。
その後、本を書き始め、数々の作品を余に送り出しました。
そんな三浦哲郎自身の兄姉のこともあり、「生きるいるってすばらしい」とのメッセージを込めた『ユタと不思議な仲間たち』の作品が生み出されたのではないでしょうか?
小学校や中学校の図書館で『ユタと不思議な仲間たち』を良く借りて読みました。
これからも『ユタと不思議な仲間たち』は愛される児童文学です。
所々少しずつ演出の変化はありますが、これからも上演し続けてほしい作品です。