この一年、濃かった。
良い一年だった、マジで。
昨年から小劇場の芝居に触れ、年明けからも爆速で観てきた。
そのスピード、気力は減速減退しても「つづく」と思っていた。
理由は今は書けない。
要因はたくさんあるが、私の受け取り方の問題であるし、以前書いた記事のとおり。
いつか話せる時が来たら話したいが、聞きたい人限定にしようかしらん。
けれども、あの記事を出したおかげか、
めちゃくちゃレッドブル気分だ!!
翼さずけられてる!!
色んな人に心配された。
ご心配かけました。
大丈夫?と何度も聞かれた。
大丈夫です。
何かあったん?と聞かれた。
はい、何かはありました⬅
でも今は凄く晴れ晴れ!!ありがとう!!
何か一つ鎖が外れた気がする。
でもそれは明らかに自分が巻き付けたもんやと思ってる。
どうやら本当に顔つきが変わったみたいで、友達から「スッキリした表情しやがって」と言われたくらいだ。すまんのぉ( *´艸`)グフフ
昨年末あたりから、観劇仲間さんが増えて、中には何でも話せる友人になれた人もできた。
なんだよ、みんな大好きだ⬅
あとは推しの存在が大きい。
とてつもなく大きい。
生きる力だ、大げさではない。
あの方たちが実際にどんな人達なのかはわからない⬅
深く知る必要は無い。
なぜなら私が、
直に見た
直に聞いた
直に触れた
森崎さんが、丈二さんが、泰三さんが全てだからだ。
舞台に立つ姿を見れるだけで、声が聞けるだけで、そこにいてくれるだけで、幸せに思う存在というのは何とありがたいことか。
心から応援できる、大好きで大切な人達だ。
「推し」という言葉と定義を生み出した人に、ノーベル翠賞を授けたい。無論辞退不可だ。
この先会えないわけではないのだ。
だから保険をかけた。
「辞める」じゃなくて「休む」
ずるいだろ⬅
この記事もまた観劇沼へと再度飛び込む際、戻りづらさを軽減させる為のものである。
なぜまたこのような記事を出したのか。
なんだか寂しいのだ。
やっぱり寂しいのだ。
いや「一度離れよう」と決めた時も寂しさはあった。
それ以上のものが襲うのだ。
でも、この先観続けてもしんどくなるのは目に見えている。
しんどいと思ったまま好きなことを続けるなんておかしな話だ。
あの記事から繰り返しになるが、休んだところで、離れたところで何かが変わる訳では無いとも思っている。
こんな世界だ。
人と人とが関わるものに、面倒なことが生まれないわけない。
団体と団体、団体と役者、役者と役者、役者と客、客と客………。
どうだ、もうめんどくさいだろ。
小劇場というのはなおさらだ。
ビックリするくらい面倒なことだらけだ。
本当はほとんどどうでもいいんだ。
いいんだけどいっちょかみする人らが多いんだ。私もその内の1人だ。
意見要望は役者や団体に直でいくからな。
役者(団体) 対 客だからな。
間がない。
だからそんな面倒なことになるんだ。
いかん、これ以上はやめる⬅
つまりだ。
それでもそのめんどくさいもので創られているし、日々進化しているわけだ。知らんが。
なんだ、あの時の記事より今めちゃくちゃに書いている。
よし、続けよう。
来年の干支をご存知だろうか。
ご存知もクソも来年の干支くらいはイヤという程、街中でもテレビの中でも見かけている事だと思う。
そう、ねずみ年だ。
つまり推し年なのである。本当に彼らは年男となる。そんな記念すべき年を私は見落としたのだ。なんたる失態⬅
もしかしたら「一年間の休み」を途中、推し見たさに数日間解禁するかもしれない。
いや、わからないぞ。期待はするな。
そんなフワフワとした決意である。
どうだ、めんどくさい人間だろう。
そうだ。寂しいのだ。
しばらくとはいえ、自分が勝手に決めたこととはいえ、推しを見れなくなるがとてつもなく寂しいのだ。
本当に推しなのだ。
最初は推しとは、推すということがどういうものなのかわからなかった。
ただ森崎さんが「まうすを推しといってくれる人がいない」と寂しそうに呟いていたのが何だか可哀想で⬅
いや、私は好きだぞと。
一発であなた方にハマったぞと。
そんな気持ちだけだった。
本当にガチで推しになるとは。
あの3人がいいのだ。
あの仲がいい3人が好きだ。
自身の公演の稽古終わりに、大体毎回なかむらに団員だけで呑みに行くアラフィフいるか?
やべぇだろ、なんだよ、好き者同士じゃねぇか、相思相愛過ぎるだろ、最高か。
バランスが妙に良いのも最高だ。
もちろん役者としても素晴らしいし、凄い人達だということはわかる。
客演に引っ張りだこなところがまさにだ。
作品だって最高だ。
だけどそこじゃないんだ。そういうので推してるわけじゃないんだ。
あの3人が揃った時、あの瞬間が私の推しポイントだ。
知らんがなとか言うな。
何の話だ一体。
寂しいのだ。
初めて見た時は「めちゃ怖そう」しか印象にないし、やっぱり実際演劇に関してはめちゃくちゃ真面目やと思うし、ストイックな部分あると思うけど、実はその厳しさ真面目さは演劇が好きやからこそやとも思うし、1回1回ベストなものを見せたいからなんやろうなって思うしそれが伝わるし、でも本当は誰よりも気にしぃで、ネガティブな部分をさらけ出してはるけど、相手を想って相手を気遣う、心の優しい、見た目も中身も男前な森崎さんにしばらく会えなくなるのが。
何となく森崎さんとは正反対な気もする、いつもポジティブで、演劇を楽しんでるような、それがフツフツと伝わるし、一番ファンの心掴むの上手いと思うし、この人からファンになる人もいるくらいやと正直思うし、いつも掴むところがベストなタイミングなのがずるいなって思うけど、ファンだけじゃなくて演劇関係者にも多く慕われてるの見たら、それが天性のもので内面から溢れてるものやと思うし、やっぱりずるいなって思いつつもハマってしまう丈二さんにしばらく会えなくなるのが。
一番謎やけど、この人がいるからこそ団体のバランスが取れてるとも思うし、周りにも媚びないし、恐らく天然やろうし、一番何も考えてなさそうで、やっぱり考えてなさそうな所が「らしいな」って思うし、そういう所に森崎さんも丈二さんも救われてるところあるんじゃないかって思うし、娘ちゃん大好きで家族大切にしてて、なんだよもう好感度しかねぇじゃんって思うし、この方の屈託のない笑顔だけで周りが幸せになるんじゃないかって心底思う泰三さんにしばらく会えなくなるのが。
推し様方泣いたかな?⬅
目薬使ってくれてもいいよ⬅
書いてる本人が泣きそうだよ。
一言で表せば最高の団体なのだよ。
ほんまに寂しい……
推しだけじゃない。観劇仲間さんをはじめ、色んな人に顔を覚えてもらったのだから、寂しさもひとしおだ。
人間の心なんぞは都合のいいようにコロコロ変わる。
固く決心したはずのことも、簡単に揺らぐものだ。
だけどこれだけは言える。
寂しさはあれど、物凄くラクだ。
これは確かだ。
Twitterにもあげたが、来年は一人旅も再開したいし、何年も会えていない友人にも会いに行きたい。
心休まる一年にするのが目標だ。
そうして物事を深く考えず、気負わずにラクに考えれるようになれたらいい。
趣味はあくまでも趣味だ。
極めるのも悪くはないけど、日々忙しなく過ぎ去る時間の中に、ひとときの楽しみの一つして持っているだけだ。
自分が楽しめたらそれでいいジャマイカ。
本当にそう思えれた時にまた観たいと思ふ。
それができたら、まうすの3人とは心からの笑顔で会いたいものだ。
どうかできれば長く役者をしていてほしい。
私のことは「あー、おったな、そんな奴」程度でいてくれて構わないから⬅
だからまた再会した時に「えっと………」ってなってくれてもいいのだ。それはそれでおもしろいから⬅
今から楽しみで仕方がない。
来年を過ごしたその先が楽しみだ。
この一年本当にありがとうございました。
良いお年を。
アデュー