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ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

また我らが友が逝ってしまった。ワンゲル6期の小笠原祥治君は昨年11月に亡くなられました。今年2月になってその訃報が事務局に寄せられました。ひとりひっそりと亡くなられたとのこと、物静かな彼らしい最期であったと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。小笠原君を偲んで仲間達が追悼文を寄せてくれました。ここに掲載いたします(事務局):



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            追悼 小笠原祥治様


 


1月末、名前が思い出せない女性から突然10キロもの碧南農協の人参が届きました。箱の中に「兄小笠原祥治が11月に他界した」と書かれていました。


5年ほど前から同期の男の子たちが、年156月に三河辺りの温泉地で、夕方5時集合の飲み会(?)を始めました。仕事のある小笠原君に配慮して、日曜日の宿泊でした。しばらくぶりに会った小笠原君が、家業を継いで水飴屋をしていること知り、好奇心満々の私は、一人での作業、麦芽を使うこと、作業所内の温度調整の難しさなどを、根掘り葉掘り尋ねました。それもあってか、彼は律儀に商品の水飴や、納めているお店のつくだ煮を送ってくれました。水飴は飴色で、一般に売っているものとは大違い。


後継者にと思って厳しく指導していた甥が、仕事の大変さに逃げ出した話も聞きました。去年の会で、仕事は閉めつつあると聞き「ぜひ、また、あなたの水飴が欲しい」と言ったら、妹に送らせるということになり、本当に9月半ばに大量の水飴が送られてきました。それには、妹さんのお兄さんを思いやる手紙が入っていました。早速、小笠原君にお礼の電話をして、元気な声を聞き、10月の「緑の旅人の会」にも誘いました。そして今度が妹さんからの大量の人参です。添付の手紙には「兄と年が明けたら碧南のとてもおいしい人参を送る約束をしていた」と書かれていました。読むほどに泣けました。


しかし、10キロの人参をどうしようかと考え、ともかく見本に立派な人参2本と碧南農協のパンフレットを持って外に出ました。すると、運よくボランティアで食事提供をしている方に出会い、そこへ3キロ、そして、以前手伝っていた高齢者デイサービスのバスを見かけて思い付き、そちらの施設に5キロ寄付しました。こうしてなんとか、小笠原君の好意を役立てることができました。このことを、もし彼が喜んでくれるなら、少しは彼の供養にもなったと思います。


それは独り身の突然の死でしたが、生前と同じように、誰にも迷惑をかけることはありませんでした。そして、直後には兄弟皆が駆けつけてくれましたし、今は兄らしい善い死に方だったと思うことにしていますと、妹さんは電話で話されました。私もそう思いました。


ワンゲル現役の時は、合宿などの部活動が主になり、お互い、あまり私的なことを話すことはありませんでした。しかし、ここへ来て、年一回の同期の会では、苦楽をともにした者だけが通じ合う、心の交流ができたのではないかと思います。


小笠原祥治君のご冥福をお祈りします。


同期の竹内幸子

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小笠原君を偲ぶ


 


赤ら顔に太めのフレームの眼鏡をかけられ、いかにも頑丈そうな体格でどしどしと闊歩され正に丈夫で長持ちで、抑え目にオシャレの貴君の訃報を聞くとは予想しなかったこととでした。


新人強化合宿や夏合宿等無我夢中で過ごし、翌年には東北地方を中心にした夏合宿も山形市に設定された本部パーティーと多くの時間を共にさせていただきました。


 新人の折に長崎南山高校出身の部員が突然の孤独な生活に慣れるのに苦しんでおられるから、みんなで一緒に彼を励まそうと同期の我々に呼びかけられましたね、山形市内にあった寺さんの庭先に設けられた本部での活動では予想を上回る困難なコースや不順な天候など各パーティーか寄せられる情報などを心配されている上級生に同情されたり、病気や怪我などで所属パーティーを離れ本部入りの部員達を慰めたり、山形大学委医学病院へ連れって言ったりされました。親切で優しい心配りなど普段では気が付かなかった貴君を知りました。


ご冥福を心からお祈りします。


 


堀田周作

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ガバちゃんこと小笠原君追悼            

                                   山姥素吉                           


 

ワンゲル仲間の訃報には、相当めげる。アルバム見たら、彼とは、二年生の春合宿、四国本山集中合宿で、同じパーティーだった。野性的な風貌の奥に、温厚さを秘めた男の子だったと記憶している。彼の学年は、人数が多く、活発というか騒々しい連中が目立つ中で、亡き杉本君と二人並んで立つと、思わず居ずまいを正したくなる感じがしたのは、私だけ?


生業を、手造りの水飴製造販売だったと記憶しているが、朝早い仕事ゆえ、ガバちゃんに会いたいな三金会に来ないかなという希望は叶えられないまま、今回の訃報となってしまった。こんなことなら、6期の集まりに押し掛けるんだった。残念至極。      先に逝った同期の杉本、安井、中根、西川、山口、加えて、松ちゃん、広瀬、温ちゃんと合流して、あの世で、盛り上がってるかな?そう信じたい。   

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2018/02/19


田中弓彦(四期)


回想・小笠原祥治君


 小笠原君は、私が三年生の時の一年生。当時、彼は新人でありながら、明らかに、私より年長を感じさせる風貌を備えていた。というのは、まずは偉丈夫な体躯。私の51キロに対し彼70キロ近くはあったろう。次に、黒縁メガネの奥の双眸。鋭い眼光は相手を威圧する。そして、額の皺。真横に二本、その彫の深さは畏怖さえ抱かせる。さらに顔相。厚い唇と角張った顎は、節を曲げない強い意志の顕れだ。だから、彼の入部勧誘には、こちらが気圧されてしまい、説明もしどろもどろだったことを思い出す。


 春夏の合宿で、同じパーティーになったことはないが、LPで残雪(5月)の木曽駒へ、一緒に登った。メンバーは、私の外に、今は鬼籍の西野、それに小笠原と平野の4人。写真に写るユニホームの色の褪せ具合から、私と西野は4年生で彼等は2年生のようだ。ところが、この写真、知らない人は最年長は小笠原と言うだろう。よく見ると、入部から約1年経って彼には貫禄もついている。


 その彼は、学年が上がると下級生からも「ガバちゃん」と、親しみを込めて呼ばれるようになる。この愛称は、おそらく道守あたりの作だろうと思うけど、後輩がちゃん付けで呼ぶということは、よほど慕われていたということだ。思うに、後輩たちは、彼に包容力豊かな人間性を見たからこそ、そう呼んだに違いない。


 卒業後、彼とは一度も会ってない。頑丈な体の持ち主だから、居所さえ分かっておれば、いつでも会えると構えていた。それが大きな間違いであったことを、今回の訃報で知らされた。だから、次に会えるのはあの世とやらになるわけだが、今度は気圧されないよう、心構えだけはしておこう。小笠原君、その折はよろしく。(合掌)

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