執筆のための日は、いつも堕落する日にかわる。律することは必要か? | 本当に笑いたい時だけ笑えばいい:ミニマムに生きる



13年ぶりに南相馬市に行きました。なのに、まったく関係ない写真。
南相馬のお話は、いずれ書くかもです。

愛知から戻った週は、年明け最初ということもありかなりバタバタな日々でした。
バタバタだと、ちょっと落ち着かないのですが、充実感があり、その方が良いのかな~と思う日々がずっと続いています。
落ち着かないけれど、ずっと動いていて気持ちが張っている。だから、落ち込みもない。
だけど、かなりプレッシャーを感じているんです。

 

今週は、取材3つ分の原稿を書くために、時間を取ったのですがその時間が恐ろしく堕落した時間になりました。

3つ分の取材の原稿は、なんとか進めているのですが、余計なことが気になったり、気持ちが落ち込んだり。

そして、外に出ない。←一歩も外に出ない日や、ゴミ出しだけした日がありました。

 

今日は午前に出かけて、先ほど落ち着いたところ。

このあと、原稿を進めます。

時間はない方が、やるべきことをしようとする、これはずっと前から分かっていること。

ただ、追い詰められたような気持ちにもなる。

 

空いた時間があると、いえーーいな気持ちになる。なのに、結局ダラダラ堕落。

 

でもさ、それもいいじゃない! と思う最近。

堕落って悪いことなのか?

律していることだけが正しいのか?

 

ゆるゆるだらだら、結構じゃん!

もちろん、約束した仕事はする。これは社会人のルール。

だけど、ビシッとできてない自分を許そう。

そうしたいと体が言っている。

 

最近、21時くらいにはベッドにいる。朝は5時くらいには起きるのだけど、時々8時くらいまでごろごろしちゃうことも。

これって。。。

まぁ、それもいいじゃん。

 

以前、好きなこと=何かすること。やりたいこと=行動すること。

っていう変な常識に縛りつけられていたけれど、

「何もしたくないこと」が「したいこと」になってもいいし、それを希望する自分を許してもいい。

 

許せないと自分を責めるのよそう。

 

自分で決めた勝手なルールに縛られることから解放されていい。