私は現在
老人保健施設で介護職として
働いています。
ここで働いて2年が経過し
その間に、自宅で母を看取りました。
人が死に向かう時
いろんな事が削ぎ落とされていきます。
自然に任せていればのお話ですが。
病院に入院すると
その『自然に任せる』ができません。
この2年、老健の仕事で何人もの方の
最期の時間に寄り添わせていただき
ますます
人が人をケアするということ
心に寄り添うとは?
どういう事なのかを考える機会が
増えました。
【悔しい思い出】
5年前
父は入院先の病院で亡くなりましたが、
面会に行った時の衝撃は忘れられません。
ベッドで背中を起こされた父
その口の中には
飲み込めないペースト食が
たまったままで…![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
『この状態で放置⁉️誤嚥するじゃん⁉️』
ていうか、
そもそも食事出来る意識レベルではない。
その時感じた怒り
と虚しさ![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
![ムキー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/009.png)
![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
父をケアする人から
『人として扱ってもらえていない』
という感覚。
80年以上を生きてきた○○さん
ではなく
ただの『患者』でしかない。
(まぁ、確かにただの患者なんですけど…)
そんな所に預けてしまっている
罪悪感![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
介護士なのに、何も出来ない
屈辱感![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
家に帰りたいとずっと望んでいた
父の思いを無視して
結局、そのまま病院で看取ったあの日の
悔しさは忘れられない。
【悔しさから見えた思い】
父の死後考えるのは
母も段々と体の自由がきかなってきて
すぐにではないけれど
母にも必ず最期が訪れるのだということ。
1人ぼっちが嫌だと叫んでいた母。
いつも誰かと一緒に笑い合って
誰かがそばにいないと寂しがっていた。
そんな母だから、
もしもその時が来たら
家族が近くにいる自宅で過ごしてもらおう
そう決めていた。
そして仕事では
今までより以上に
『その人に向き合う』ことを意識した。
母を自宅で看取ると決めてから
読んだ本が、こちら![下矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/121.png)
![下矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/121.png)
自然に任せていて
起きてくる体の変化について
理解が深まりました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230331/20/midori-20200828/71/5f/j/o0527108015263321619.jpg?caw=800)
3月の最終日
一人の女性をお見送りした。
母と同じで寂しがりの彼女の
お部屋を訪れる度に
反応が薄くても話しかけ続けた。
最期の瞬間はお一人だったけど
少しは寂しさ紛れていたかな?
おつかれさまでした![虹](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)
![虹](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)