私は現在

老人保健施設で介護職として
働いています。

ここで働いて2年が経過し
その間に、自宅で母を看取りました。

人が死に向かう時
いろんな事が削ぎ落とされていきます。
自然に任せていればのお話ですが。

病院に入院すると
その『自然に任せる』ができません。

この2年、老健の仕事で何人もの方の
最期の時間に寄り添わせていただき
ますます
人が人をケアするということ
心に寄り添うとは?
どういう事なのかを考える機会が
増えました。

【悔しい思い出】
5年前
父は入院先の病院で亡くなりましたが、
面会に行った時の衝撃は忘れられません。
ベッドで背中を起こされた父
その口の中には
飲み込めないペースト食が
たまったままで…ガーン
『この状態で放置⁉️誤嚥するじゃん⁉️』
ていうか、
そもそも食事出来る意識レベルではない。

その時感じた怒りムキーと虚しさえーん

父をケアする人から
『人として扱ってもらえていない』
という感覚。
80年以上を生きてきた○○さん
ではなく
ただの『患者』でしかない。
(まぁ、確かにただの患者なんですけど…)

そんな所に預けてしまっている
罪悪感ショボーン
介護士なのに、何も出来ない
屈辱感ショボーン

家に帰りたいとずっと望んでいた
父の思いを無視して
結局、そのまま病院で看取ったあの日の
悔しさは忘れられない。

【悔しさから見えた思い】
父の死後考えるのは
母も段々と体の自由がきかなってきて
すぐにではないけれど
母にも必ず最期が訪れるのだということ。
1人ぼっちが嫌だと叫んでいた母。
いつも誰かと一緒に笑い合って
誰かがそばにいないと寂しがっていた。

そんな母だから、
もしもその時が来たら
家族が近くにいる自宅で過ごしてもらおう
そう決めていた。

そして仕事では
今までより以上に
『その人に向き合う』ことを意識した。


母を自宅で看取ると決めてから
読んだ本が、こちら下矢印
自然に任せていて
起きてくる体の変化について
理解が深まりました。



3月の最終日
一人の女性をお見送りした。
母と同じで寂しがりの彼女の
お部屋を訪れる度に
反応が薄くても話しかけ続けた。

最期の瞬間はお一人だったけど
少しは寂しさ紛れていたかな?
おつかれさまでした虹