今日、会社から帰る途中、地下鉄車内での出来事。
私を含めて3人が、からだの不自由な方の<優先座席>に座っていました。5人シートなので隣はあと2席空いていました。もちろん優先座席なので誰も座っていないときは座っていいのですが。
途中の駅で
あきらかに目の不自由な方で、まだ外出に慣れていないのかな?というスロー歩きの会社員風男性が杖をついて地下鉄に乗車してきました。目の不自由な方は通勤中によく見かけますが、その方は、どこに椅子があるのかもわからないような❔ゆっくりとした歩き方で左手で杖をつき、右手は前に伸ばして手探りで歩いていました。
私はすぐに優先座席を立ち上がりました。
きっと、優先座席は場所がわかっても
どこに空席があるのかよく見えないだろうし
一人分のシート空間にピンポイントで座ることは難しくても、2人の空間があれば
誰の手も借りずに座れるかな❔と思ったからです。
私があわてて立ち上がったからかわかりませんが
他のサラリーマンもすぐに立ち上がりました。
すると最後に残されたサラリーマンも立ち上がりました。
3人が次々に立ち上がって5人シートだけがガランとしました。
「あなたが来たから、立ちました❗」と言わんばかりに(もちろん立った人達は誰もそんな押しつけがましい気持ちはないのですが)
一斉にそこから人がいなくなったのです。
これ、じぶんが逆の立場だったらどうでしょうか。
私ならとても悲しいかもと思いました。
自分がそこに来たとたんに、皆が一斉に席を譲って、そこから居なくなるのです。
これは本当の優しさなのでしょうか。
じゃあ、最後の一人は
ひとり座っておけばよかったのか…。
いや、皆が立ち上がってるのに
自分だけひとり座っておくことができるでしょうか?
ここで思ったことがふたつ。
本当に…本当に優しい人は
ああいうとき、席を立たないのだと
思います。
スッと横に詰めて座りやすくすればいいのに露骨に立った私は、からだの不自由な人を特別視しすぎているのかも!と言うこと。全員が立ったことを感じたとき、ご本人はきっと疎外感を感じるし、下手すると心を傷つけることかもしれない。(実は私は職場の皆に心配されすぎて、傷ついたことがあります。自分はしょせん難病患者なんだ!と
悲しくなったことがあります。)
それともうひとつ思ったこと。
本当に優しい人と
まったく優しくない(無神経だったりワガママだったりする人)は
結果的に、おなじ行動をとる。旗からみたらそれが真の優しさなのか、無神経なのかはわからない。
みんなは、あのとき
自分が最後に残った在席者だとしたら
どんな行動をとったでしょうか❔
私はこうやっていつも
どちらかというと不器用に生きてしまいます。
きっとパパがこのブログを読んだらこう言うでしょう。
「ママ、そもそもさ、地下鉄ですれ違っただけの人にそんな究極の優しさとか求める必要ある?べつに気づいた人は何人であっても席を立てばいいんじゃないの?そしてさ、後から空席あれば戻って座ればいいんじゃないの?」
きっとそう言って「ハハハ❗
」と笑っておしまいでしょうが
私はそこが上手に立ち回れず悪いところです。
ちなみにパパは
誰からも好かれて職場の「好きな上司ランキング」ではいつも上位で表彰されるけれど(人当たりがいい。上手に立ち回れる。)誰にたいしても究極の優しさなんて考えていないし、適当に合わせておもしろいことを言って、不快感を与えないように生きているだけで、仲間のこと本気で心配もしていません。
ママはいつも知らない人でも
会社の人でも、本気で心配してしまいますが、そのくせ態度はいつもふてぶてしく❔
大人かわいくありません
この地下鉄の中の出来事が、IDDMになってから
見えてきたもののひとつであり
私がかけている『1型めがね』なのかも
しれません。
いろんなこと考えさせられた地下鉄でだったな


私を含めて3人が、からだの不自由な方の<優先座席>に座っていました。5人シートなので隣はあと2席空いていました。もちろん優先座席なので誰も座っていないときは座っていいのですが。
途中の駅で
あきらかに目の不自由な方で、まだ外出に慣れていないのかな?というスロー歩きの会社員風男性が杖をついて地下鉄に乗車してきました。目の不自由な方は通勤中によく見かけますが、その方は、どこに椅子があるのかもわからないような❔ゆっくりとした歩き方で左手で杖をつき、右手は前に伸ばして手探りで歩いていました。
私はすぐに優先座席を立ち上がりました。
きっと、優先座席は場所がわかっても
どこに空席があるのかよく見えないだろうし
一人分のシート空間にピンポイントで座ることは難しくても、2人の空間があれば
誰の手も借りずに座れるかな❔と思ったからです。
私があわてて立ち上がったからかわかりませんが
他のサラリーマンもすぐに立ち上がりました。
すると最後に残されたサラリーマンも立ち上がりました。
3人が次々に立ち上がって5人シートだけがガランとしました。
「あなたが来たから、立ちました❗」と言わんばかりに(もちろん立った人達は誰もそんな押しつけがましい気持ちはないのですが)
一斉にそこから人がいなくなったのです。
これ、じぶんが逆の立場だったらどうでしょうか。
私ならとても悲しいかもと思いました。
自分がそこに来たとたんに、皆が一斉に席を譲って、そこから居なくなるのです。
これは本当の優しさなのでしょうか。
じゃあ、最後の一人は
ひとり座っておけばよかったのか…。
いや、皆が立ち上がってるのに
自分だけひとり座っておくことができるでしょうか?
ここで思ったことがふたつ。
本当に…本当に優しい人は
ああいうとき、席を立たないのだと
思います。
スッと横に詰めて座りやすくすればいいのに露骨に立った私は、からだの不自由な人を特別視しすぎているのかも!と言うこと。全員が立ったことを感じたとき、ご本人はきっと疎外感を感じるし、下手すると心を傷つけることかもしれない。(実は私は職場の皆に心配されすぎて、傷ついたことがあります。自分はしょせん難病患者なんだ!と
悲しくなったことがあります。)
それともうひとつ思ったこと。
本当に優しい人と
まったく優しくない(無神経だったりワガママだったりする人)は
結果的に、おなじ行動をとる。旗からみたらそれが真の優しさなのか、無神経なのかはわからない。
みんなは、あのとき
自分が最後に残った在席者だとしたら
どんな行動をとったでしょうか❔
私はこうやっていつも
どちらかというと不器用に生きてしまいます。
きっとパパがこのブログを読んだらこう言うでしょう。
「ママ、そもそもさ、地下鉄ですれ違っただけの人にそんな究極の優しさとか求める必要ある?べつに気づいた人は何人であっても席を立てばいいんじゃないの?そしてさ、後から空席あれば戻って座ればいいんじゃないの?」
きっとそう言って「ハハハ❗

私はそこが上手に立ち回れず悪いところです。
ちなみにパパは
誰からも好かれて職場の「好きな上司ランキング」ではいつも上位で表彰されるけれど(人当たりがいい。上手に立ち回れる。)誰にたいしても究極の優しさなんて考えていないし、適当に合わせておもしろいことを言って、不快感を与えないように生きているだけで、仲間のこと本気で心配もしていません。
ママはいつも知らない人でも
会社の人でも、本気で心配してしまいますが、そのくせ態度はいつもふてぶてしく❔
大人かわいくありません

この地下鉄の中の出来事が、IDDMになってから
見えてきたもののひとつであり
私がかけている『1型めがね』なのかも
しれません。
いろんなこと考えさせられた地下鉄でだったな


