テレビを見ていた。
日本画家 千住博さんと 演歌歌手 石川さゆりさんの「見えないものを見る世界」というテーマで
芸術や演歌について、作品が生まれるまでの
工程や想いを語り合う番組だった。

千住さんの絵画は例えば
和紙をしわくちゃにして、そこに墨汁を垂らすと滝のように見えたり
白い塗料を吹きかけると波しぶきのように
見えるところから
作品作りが始まる。自然となりゆきと人格、個性が全て混ざりあって二つとない作品が出来上がる。

真っ黒な墨汁のシミの奥に、何を感じて
何を見いだすか、自分を<無>にして
自然を感じることが大切らしい。


石川さゆりさんの唄も
言葉と言葉の隙間のなにもない<空間>には
何があるのかを
感じながら唄っていくのだという。
その<無>の空間が作品にあることで
そこに何かが生まれるという。
千住さん「そんな未完成な部分にこそ、人は感情を移入するのだと思います。人も完璧な人には興味を持ちませんよね?」


未完成な部分に、人は感情移入する……
なんて素敵な言葉だろう。
そうだ!
私も、誰かを好きになるとき
完成している部分と未完成な部分と
その両方を同時に見ている。友達になるとき
未完成な部分に安らぎを感じて、冗談を言ったりできるのだ。
(職場でも完璧な人は怖くて
話しかけることができない
)
自分はもっともっと完璧でなければいけないと思っていたけれど
もっと適当でいいのか
それとも、完璧を目指しつつも
人は絶対に完璧になることはないので
その部分こそが自分の味である!ということか
どちらにせよ
私は人と接するとき
その人の優れた部分を見てつきあっているのではなく
優れていない部分に<癒し>や<安らぎ><信頼>を感じて
つきあっているのだ
(どういう風に乱暴者なのか?どういう風にせっかちなのか、どういう風に裏表があるのか
、どういう風に優しすぎるのか私は人のボーダーラインを見てる)
もちろん尊敬する気持ちは根底にあるけれど
本当の尊敬は長所に対してだけでは成り立たないみたい。
私はヒトを尊敬する気持ちと同じだけ
その人の欠点も見ている。
その両方が同じだけ感じられるとき
自分にとって
本当に大切な存在になっている気がする。
旦那も、子供も、父も、母も、友達も。
日本画家 千住博さんと 演歌歌手 石川さゆりさんの「見えないものを見る世界」というテーマで
芸術や演歌について、作品が生まれるまでの
工程や想いを語り合う番組だった。

千住さんの絵画は例えば
和紙をしわくちゃにして、そこに墨汁を垂らすと滝のように見えたり
白い塗料を吹きかけると波しぶきのように
見えるところから
作品作りが始まる。自然となりゆきと人格、個性が全て混ざりあって二つとない作品が出来上がる。

真っ黒な墨汁のシミの奥に、何を感じて
何を見いだすか、自分を<無>にして
自然を感じることが大切らしい。


石川さゆりさんの唄も
言葉と言葉の隙間のなにもない<空間>には
何があるのかを
感じながら唄っていくのだという。
その<無>の空間が作品にあることで
そこに何かが生まれるという。
千住さん「そんな未完成な部分にこそ、人は感情を移入するのだと思います。人も完璧な人には興味を持ちませんよね?」


未完成な部分に、人は感情移入する……

なんて素敵な言葉だろう。
そうだ!
私も、誰かを好きになるとき
完成している部分と未完成な部分と
その両方を同時に見ている。友達になるとき
未完成な部分に安らぎを感じて、冗談を言ったりできるのだ。
(職場でも完璧な人は怖くて
話しかけることができない

自分はもっともっと完璧でなければいけないと思っていたけれど
もっと適当でいいのか

それとも、完璧を目指しつつも
人は絶対に完璧になることはないので
その部分こそが自分の味である!ということか

どちらにせよ
私は人と接するとき
その人の優れた部分を見てつきあっているのではなく
優れていない部分に<癒し>や<安らぎ><信頼>を感じて
つきあっているのだ

(どういう風に乱暴者なのか?どういう風にせっかちなのか、どういう風に裏表があるのか
、どういう風に優しすぎるのか私は人のボーダーラインを見てる)
もちろん尊敬する気持ちは根底にあるけれど
本当の尊敬は長所に対してだけでは成り立たないみたい。
私はヒトを尊敬する気持ちと同じだけ
その人の欠点も見ている。
その両方が同じだけ感じられるとき
自分にとって
本当に大切な存在になっている気がする。
旦那も、子供も、父も、母も、友達も。