ワクチン推進派と反ワクチン派の直接の討論と言うのは、僕が知る限り未だ一度もない。
Xなどでのローカルな非専門家同士の言い争い、罵りあいはいくらもある。でも専門家同士の学者や医者などの公の討論はない。未だにない。
細かく言えば、そこまで言って委員会などではあると言えばある話なのだが、決定的な物がない。

なぜか?多くの人が望むことだ。当たり前にそんな企画は出てしかりだ。誰でも当たり前に考えるはずだ。
それが未だに全く一度も実現していない。これ自体が異常なことだ。なぜか?

かつて何年も前の話だが、小林よしのり氏と井上正康氏が忽那氏に対し公開討論を呼び掛けたことがある。忽那氏は応じなかった。
そのことだけを考えれば、推進派は逃げている。そう考えても差し支えないことになる。

でも本当にそうなのか?逃げているならそれだけでも批判されもいいはずだが、そんなことにもなっていない。
この状況が異常なのだ。

忽那氏ではなかったと思うが、某推進派の人は相手の土俵に乗る必要がないみたいなことを言って逃げた。
そもそも話をする相手ではないというスタンスなのだ。多くの推進派はそんな立場で逃げ、多くの推進派もそれを支持した。

この状況が異常なのだ。推進派は反対派に一切歩み寄らない。討論しようという姿勢がない。
その討論が真に国民の利益になるはずだが、それをしないのだ。

所謂推進派はそのすべてが利権目的の極悪人なのだろうか?だからそれがばれることを恐れ逃げるのだろうか?反対派はそういって批判する。
一部は確かに極悪人だろうさ、でもすべてはそうではないはずだ。
多くの推進派は反対派を陰謀論者と決めつけ相手にしなかったのだ。推進派はそれを支持したのだ。

同様に反対派にも歩み寄る姿勢がないと言わざるを得ない。
小林よしのり氏と井上正康氏が忽那氏に対し公開討論を呼び掛けした以外にそんな呼びかけはないのだ。
その呼びかけにしてもけんか腰だったことは否めない。多くは初めから推進派を極悪人と決めつけ分断しているのだ。

もっとフラットに公正に真に国民の利益となるための討論をしようと言うスタンスが必要なはずだ。それが推進派にも反対派にもどちらにもないのだ。

分断は進み、お互いにお互いを罵倒し相手にしない状態になっている。これは真に国民の利益ではない。今一度冷静に考えることは出来ないだろうか?切に思う。

そしてちなみにだが、分断というのは国民をコントロールする方法の一つだ。解っておく必要がある。
そしてもう一つ。問題を複雑にややこしく長期化させ、うんざりさせ、考えることを止めさせる。というのも、国民をコントロールする方法の一つ。
うんざりしてはダメなのだ。うんざりさせられているのはそれは奴らの術中にはまっていることになる。
難しいぜ。確かにこれは難しい。どうしたってこの状況はうんざりするもの。奴らは考える以上に巧妙であり悪魔的である。