以前に年功序列の話を書いたことがある。
日本には年功序列の習慣があって、批判されることも多いが未だにある習慣。

本来、年齢や入社順など関係なくまた性別なんかも関係なく、有能な人が出世し上司となった方が仕事としては良いはずなんだ。
業績も上がるだろうし仕事もしやすいはずだ。当たり前に考えればね。

でもそうはならない。なぜかって言うと簡単な話。

多くの人が、若い奴の下では働けない。女の下では働けない。と考えているからだ。
年功ではなく純粋に能力で人事なんかをしてしまうと結局は会社全体の士気が下がるんだ。業績が落ちるんだな。
だから会社としては年功序列を採用せざるを得ない。

これは、以前に何度も書いているが、馬鹿に合わせて社会は動くということだ。

この馬鹿に合わせて社会は動くことの他の例としては、カリキュラムは低レベルに合わせて組まざるを得ない、という話も書いたことがある。

かつて脚本家の倉本聰氏が主幹していた富良野塾というのがって、夏のワークショップみたいなのをしていたんだな。
その最初のカリキュラムというのが、生きた鶏を自ら絞めて調理し食べるというものだったんだ。
参加者はOLとか女子大生が多くて、当然というか予想通り絞めることなんてできないわけ。中には泣き叫んでいる人もいるんだな。
それに対し倉本聰は怒号を飛ばしていたりするんだけどさ。
まあ大人なら覚悟を決めて締めるべきだろうとは思うけども、現代人には難しいのは解るしこのカリキュラムは相応に意味のあるものだとは思う。

でも、古来、鶏を絞めるなんて子供の仕事だったわけで、大人なら本来できて当然なことと言える。
仮に参加者が皆当たり前に鶏を絞めることができる人ばかりであれば、こんなのはカリキュラムとして成立しない。ただの食事会になるんでね。
こんなカリキュラムが組まれるのは、参加者が現代人であり多くが鶏を絞めることができないからだ。

他には、ある大学教授が学生に「イエス・キリストは何教徒か?」という質問をする。という話も書いた。
多くの学生は間違えるらしい。要するにキリスト教徒と答えるらしいんだ。
書くまでもないが、イエス・キリスト自身はユダヤ教徒だ。
キリスト教というのはキリストの死後、弟子たちによって成立した宗教でありイエス・キリスト自身がキリスト教徒なわけはないんだが、多くの人は間違えるんだ。そんなのちょっと考えれば解りそうなもんだが多くが解らない。
大学教授がそんな質問をするのは学生の多くが解らないからだ。

8割馬鹿論なんて書いているけども、実際そうなんだと納得できるでしょ?

そして、8割馬鹿だから、岸田政権なんてどう考えてもだめだが、選挙で自民党が大敗し政権を失うなんてことはまず起きないし、
ワクチンを8割の人が打ったのもそうだし、レプリコンワクチンが認可され実際に接種が始まるのもそう。
小池百合子が平然と都知事のままなのもそう。対抗馬が蓮舫だったりするのもそう。
8割馬鹿だから馬鹿に合わせて社会は動くのだ。
これは止めようがない。馬鹿を何とか啓蒙しなければいけないのだが、啓蒙でなんとかできるならそれは馬鹿ではない