和をもって貴(尊)しとなす
というのは、聖徳太子が制定した十七条憲法に出てくる言葉なんだが、
現代ではかなり誤解されて使わている。

もともとはちゃんと議論して決めよう、身分の上下なく意見を言い、対立することなく議論を深め意見をまとめてゆこうというような意味なんだけども。
でも現代では、異論を言うな。異論を言うのは和を乱す行為だ。と端的な誤用がされている。

僕も散々経験があるけども、何か問題を指摘すると、僕は指摘しているだけ、むしろ問題を改善すべきだと提案しているのだが、これが和を乱す行為と言われるんだな。
問題を指摘しているだけなのに、僕が問題を起こしているかのように言われるんだ。信じられんけど本当だ。
経験のある人はいないかな?

波風立てるなとかね。そんな言われ方をする。
問題を改善することはいいことだと思うが、指摘するのは波風を立てる行為で、それは和を乱すというわけだ。本来の意味を理解していれば意味不明な話だが実際そうでしょ?

自分の意見を言うと協調性がないとまで言われる。

 

現実に多くの人がそんな風に思っているんではないか。8割馬鹿というのは案外というか相当納得のいく話ではなかろうか?

それが、本当は違うけどしょうがないよね、仕方ないよねと、解ったうえで打算的に従っているというならまだいいかもしれないが、実のところ本気でそう思ってやしないか?
本気で問題を指摘すること、場合によっては不正を指摘することを、和を乱す行為だと思っているんではないか?
そんな人が8割だったりするんではないか?

何が正しいかなんて考えることなく、全く思考停止したうえで、従っておればよい。それが和であると。
本気で思っているんではないか?