以前、オウム真理教の死刑囚たちは揃って皆子供のころは「素直で良い子」と言う評判の子だったという話を書いた。
でも「素直で良い子」というのは、大人に従順な子と言う意味だ。自主性のない愚かな子なんではないかと書いた。

日本では「素直で良い子」と言うのを文字通り評価するんだな。それが「正しい」のだ。

僕個人は子供のころから「素直で良い子」ではなかった。その自覚はある。
だから、僕同様に「素直で良い子」ではない人間はそれなりに多いはずで、何か反発なりは少なくとも感じているはずで、疑問には思っているはずだと思っていた。
そんな大人に従順な「素直で良い子」なんて少ないと思っていた。

でもそうではないんではないか?

僕自身が「素直で良い子」ではなかったから、僕にとっては考えの外だった。思いもよらなかった。

 

世の多くは「素直で良い子」であり、少なくとも潜在的にはそうなんではないか?
だからこそ多くの大人は子供に対し「素直で良い子」を正しいこととして評価するんではないか?

そこには何も疑問はないのではないか?

 

例えば、頑張ることが良いことだと多くの日本人には浸透している。
これも以前に書いたが、頑張ることは必ずしも良いことではない。なんて言っても多くは理解されない。
僕はこれを、頑張るという精神性が尊く結果を求めるのは卑しいと日本人には浸透している。それが日本人のメンタリティなのではという話として書いたが、そもそもそんな話ではなく、単に大人が言う、頑張ることは良いことで結果はどうでもいいというのを何の思慮もなくただ従順に盲目的隷属的に信じ込んでいるだけなのでは?と思えてきている。

他にも、努力は素晴らしいとか逃げるなとかなんてものそうだろう。どうして努力が逃げないことが素晴らしいのか?本当に素晴らしいのか?なんて考えもしない。そうだと言われ素直に従順に盲目的隷属的にそう思っているだけではないのか?

他には、大麻の話もある。
大麻解禁論なんて書くと、多くがとんでもないといった反応だ。どうして大麻解禁論なんて言っているのか?なんて知ろうともしない。考えようともしない。
大麻は恐ろしい麻薬なんだと言われ、ただそれを何の疑問も考察もなく従順に盲目的隷属的にそう信じ込んでいるだけなんではないか?

環境問題もそうだろう。
環境は悪化している。温暖化している。二酸化炭素のせいであり排出を制限しなければいけない。
本当にそうなのか?なんて考えも思いもしない。そうだと言われれば素直に従順に盲目的隷属的にそう思う。そう信じ込んでしまう。
ただそれだけなんではないか?

マスクにしたってワクチンにしたってそうなんではないか?

単に日本人は、自分の頭で考えないことを「良い子」として認識している、だれか「大人」の言うことに従うことを「正しい」と認識しているんではないか?

日本人は考えることを放棄したまたは麻痺した国民なんではないか?
これが真実ではなかろうか?上記した例はすべて過去に記事に書いていることだ。すべてが瓦解する。