仕事はもくもくとすると終わると思っている人は多い。
目の前のことを一つ一つこなしていくことで仕事が終わると。
ま、ある意味ではそういう言い方でも間違いではないかもしれないが、決定的に不味い場合が多い。
要するに、締め切りがあって、逆算してスケジュールを出して仕事をするという視点がないのが不味いわけだ。
もくもくとして終わるのではなく、いかに終わらせるかを考えないと仕事は終わらない。
ま、厳密には終わらないわけではないだろうが、予定通りには終わらない。
そして上記のような人は、クオリティの高い仕事をするには時間がかかると思っている場合が多い。
これも、ある意味では間違いではないかもしれないが、決定的に不味い場合が多い。
時間をかければかけるだけクオリティが上がるのは事実だとしても(事実でもないのだが)、現実に仕事は時間が限られているわけだから、
クオリティを上げるには時間がかかるではなく、限られた時間でいかにクオリティを上げるか、という逆算的な発想をしないとクオリティは上がらない。
さらに、そういう人は、効率を上げることの意味を決定的に理解してない。
効率を上げることを、手を抜くことだとか、クオリティを犠牲にすることと思っている。
単純に時間を短縮することだと思っているようで、時間をかけないのは手を抜くことだと思い、クオリティも上がらないと思い込んでいるわけだ。
効率を上げるというのは、
100のクオリティのために100の時間がかかるところを、
100のクオリティを80の時間ですることをいう。クオリティは下がらない。
でも、上記のような人は80の時間しかかけないのだから、80のクオリティにしかならないと思うわけだ。そういう発想しかないのだ。
そんなのは効率が上がっているとは言わないのだが、効率を上げるというのを、時間を短縮することだと思っているとそんな根本的な誤解が生まれる。
100のクオリティを80の時間でやり、さらに残り20の時間を費やせば、結果100の時間で120以上のクオリティにすることができる。
効率を上げることは、直接的にクオリティアップにつながる話でもあるのだが、理解していない人は多いのだ。
そしてなにより、上記のような人にこのような話をしても全く伝わらないのが問題なのだ。
根本的に思い込んでしまっていて、そのことにいくら異論を言っても全く理解されないのだ。
根本的に思い込んでしまっている思考は変えられないのか、少なくとも変えられない人はいるのだ。
