コンプライアンスとは、法令遵守と訳される。企業などが法令を遵守するために内規などを設けて従うことを言う。また法令はもちろんの事、倫理まで遵守することも含まれているようである。
法令遵守などと言えば、そんなのは当たり前であって特別に言う事でもないはずなのだが、偽装や隠蔽など不正事件が頻発し、とかく重大に言われるようになった。
このコンプライアンスはかなりおかしな事になっている事も事実である。

 

ちょっと話は飛ぶようだが、少し前にモンスターペアレンツなんてことが話題になった。もちろん今でも問題はなくなっているわけではないのだろうが。
例えば、子供が朝起きれないので担任の教師にモーニングコールをする様に親が要求する、というような事が現実にあるのである。
すごい親もいる物だと思うが、まあ変な人もいる。
こんな変な親の変な要求には、「それは教師の仕事ではありません。親が起こしてください」という返答で良いはずだし、それで本来は終わりの話である。
でも現実には終わりにはならない。
その親は、次は校長とか、教育委員などににクレームを入れるのである。
「あの担任は生徒の事を考えていない。怠慢である」とかなんとかね。
まともな校長や教育委員であれば、担任に事情を聞くはずで、「モーニングコールをしろという要求を断っただけです」ということを聞けば、ああ、そんな変な親もいるよね。気をつけなさいね。ぐらいで本来は終わる話である。
でも、そうはならないのである。
校長や教育委員は担任に事情を聞く事をしないのである。担任に弁明の機会、事情の説明の機会は与えられないのである。
クレームの内容や事の真相などは何も関係なく、クレームがあることその事自体が問題であって、クレームがない様にしなさい。というだけなのである。またクレームがあるという理由でその教師の評価を下げてしまうのである。
なので、担任の教師はそのモンスターペアレンツの言う事を聞かざるを得なくなるのである。

 

企業のコンプライアンスも同様の構造がある。
企業にクレームがあると、たとえ変な的外れなおかしなクレームであっても、クレームがある事自体が問題であると考え、それをなくす様に対応するのである。
法令とか倫理とかに従って対応しているわけではないのである。すでに本来の意味からはかけ離れているのだ。

 

最近の話だが、女優さんを起用したポスターがあって、その女優さんの瞳にカメラマンと助手が映り込んでいるという事が話題となり、企業が謝罪するということがあった。
カメラマンが映り込んだままになっているのはレタッチミスかもしれないし、女優さんの素の美しさを表現するために、極力レタッチはしないという方針で作られた物かもしれない、真相は解らない。
でもいずれにしろ、企業が謝罪する必要がある事だとは思えない。でも謝罪してしまうのである。
そういうともすればネガティブな話題とも思えるような事自体が問題だと考えるのである。だからとりあえず謝罪するのだ。謝罪するのがコンプライアンスとしてただしいことなのだ。
その後、謝罪する事自体がおかしいのではないか、という逆のクレームがあり、謝罪した事に対し謝罪するというおかしな事すら起きている。

 

似たような話はいくらもある。
東日本大震災の時にとあるアイドルの人が被災地の避難所に行き、そこの子供達にゲーム機を配るという事をした。
しかし、その時たまたま被災地ではない地域の子供達がボランティアでその避難所に来ていて、被災者ではない子供達もゲーム機を貰ってしまうということが起きた。
その後、被災者の親達から市役所にクレームがあり、つまり被災者ではない子供達がゲーム機を貰うのはおかしいのではないか、というクレームがあり、市はその被災者ではない子供達からゲーム機を回収するという事をした。
その後、次はゲーム機を回収された子供達の親からクレームがあり、つまり、アイドルからゲーム機を貰って喜んでいる子供からゲーム機を取り上げるなんて酷い、というようなクレームがあり、一旦回収したゲーム機を返却するということをしたのである。実におかしな話である。

 

つまり、クレームがあれば無条件で応じているのである。クレームの内容などまったく無関係に、いわば思考停止で反射的に対応しているのだ。
法令や倫理に従い対応しているわけでは一切ない。クレームの内容など何も関係なくクレームがある事自体が問題だと考え、ただクレームがあるからそれに応えているだけなのである。

 

最近、不寛容社会などという事が言われる。不謹慎狩りだとか、炎上、過剰なバッシングなどもある。
これは、不寛容な人が増えた、という風にも言われるし確かにそうでもあるとも思うが、一方ではそんな不寛容な人に従ってしまう、そんな人に屈服、迎合してしまう人が増えた、という風に僕には思える。
屈服、迎合ならまだ意識的でもあろうが、もしかするとこれは無意識かもしれない。

 

コンプライアンスとは、本来法令遵守という意味であるはずだから、単にクレームに応える事ではないはずなのだが、現実にはクレームに隷従しているだけなのである。クレーム自体を未然に防ぐ様に自主規制をすることになってしまっている。ただクレームがない様にしているだけなのだ。
まさに馬鹿に合わせて社会は動いている。
実に日本的な話だと思う次第である。