僕はアウトドア関連の動画を見るのが好きでyoutubeなんかでよく見ている。
テレビ番組なんかも好きだが、テレビだと自粛されてしまうような、例えば狩猟とかでの獲物の死体や、獲物の解体シーンなんかも包み隠さず見れるのでね、より専門的というか、実践的、現実的な意味で興味深いのだな。テレビ番組にあるような下手な演出もなく、ネット動画はより面白いと僕個人は思う。
でね、その狩猟に関してね、すごい批判があるのだな。まあ解るとは思うけど、動物を殺すことに関しての批判だね。
その批判に対しての批判を書こうというのが今回の主題ではない。なんというか、その批判が自体が気持ち悪いというか違和感を感じて仕方ないという話なんだ。
某女性ハンターのブログでウサギを撃って、それを解体し料理する記事を載せて、さんざん批判的なコメントがあったりしたんだが、なんというかね、その批判が気持ち悪いのさ。
つまりね、例えば日頃鶏肉も豚肉も食べていながら、その事実に目をつぶり、批判しているようなおばかさんはもちろんのこと、例えば、ヴィーガンのような純粋ベジタリアンな人が批判するにしてもさ、そもそもどうして批判が出来るのかが不思議なのよ。
つまりね、動物を殺すなどもってのほかだと一個人が考えるのは別段構わない話だ。その人を批判しようとは思わないし、するべき話でもない。
それと同様に、動物を殺して食べるということを一個人が実践していても、別段批判されることではないはずだよね?違うんだろうか。
つまりね、法を犯している訳でもなく、また倫理的(一個人の倫理観ではなく一般的に認められた倫理観ね)にも反しているわけでもない、さらには社会的に有益である(獣害対策や環境保全にためにも狩猟は有益である)と考えられることを、どうして自分の思想と違うという理由で、平然と堂々と批判できるのかが理解できないのさ。そんな人が多くいることが気持ち悪いのさ。
一個人がどう考えてようがそれは自由だし構わないが、なぜそんな一個人の考えで他人を批判できるのか?なぜ違う考えがあることを認めないのか?
それが解らないし気持ち悪いのだ。
影響力のある公共放送とか有名人であればもしかすると批判があっても良い話なのかもしれないが(ま、それも僕は疑問でもあるが)それも一個人のブログであったり一個人の投稿動画に対してなのである。
見たくなければ見なきゃ良いだけのことではないのだろうか?
こういう人もいるね、とスルーすればいいだけの話ではないのだろうか?
なぜ批判という行動にでるのだろうか?それもそれが正しいことをしているかのようにだ。
自分の考えが絶対的に正しく、且つその考えに誰もが従うべきだとでも思っているのだろうか?
それを堂々と正しいことかのように主張するのだ。頭がおかしいとしか思えないんだが、、、、
ヴィーガンのような純粋ベジタリアンの思想を世に広めたいのであれば、その自分の考え綴ったブログを開設するなり動画を投稿するなりすればいいのだよね。
何らかの方法で発信すればよい話なのだよ。狩猟のブログや動画を投稿している人と同じようにね。
自分の考えを発信するのと、違う考えの人を批判することは全く次元の異なる話。
おそらく鼻息荒く批判する人はこの違いが解らないだろう。
そんな人がこんなにも多いという現実が気持ち悪くて仕方ないのだ。