性同一性障害と同性愛とはどう違うのか?という疑問とか質問は割と良く聞く。
ま、これはちょっと考えるとか、調べればね定義的には誰でも解る明快な物だ。
性同一性障害とは、
生まれ持った身体的な性別と精神的な性別が違うということ。
例えば、生まれ持った身体的な性別が男性であるが、精神的には女性だと自分で認識している場合などだ。
簡単に書けば、例えば、体は男性で、心は女性ということだ。無論性別が逆の場合でも同じだ。
同性愛とは、
生まれ持った身体的な性別と同姓の人に性的な魅力を感じることである。
例えば、生まれ持った身体的な性別が男性であるが、恋愛対象が男性であるという場合などだね。
これも簡単に書けば、例えば、体は男だが男しか愛せない。ということ。無論性別が女性の場合でも同じ。
つまりね、性同一性障害とは、厳密な意味では恋愛対象は同性だろうが異性だろうが実は関係ないのだ。
だから、例えば、体は男で、心は女性という場合
心は女性だから、恋愛対象は男性になるということが多いのは確かだろうけど、
でも、恋愛対象は女性、という場合もまれには存在するんだ。
ややこしいけど、体は男で、心は女性、恋愛対象は女性。ということもあると。
外見的にはノーマルに見えるけど、違うんだな。この場合は、いざ性行為の時に挿入するとかリードするとかね、男性的な役割に違和感を感じるということらしい。つまり定義的には同性愛ではないが、心としては同性愛的なことになる訳だからそんなことになるらしい。
ようするに、性同一性障害のひとは、多くは同性愛者かもしれないが、すべてそうではない。
そして、同性愛というのは、基本的には精神的な性別というのは関係ない訳だ。
いわゆるゲイと言われる人には、精神的に女性的な人が多いイメージがあるので混同もするかもしれないが、見た目というか見た目だけでなく精神的にもバリバリの男性なのに、同性しか愛せない人というのもたくさん存在する。
レズビアンには、むしろ精神的に男性的な人もいるにはいるが、多くは精神的にも女性である人は多いと思う。
つまり、同性愛者は、性同一性障害であることもあるかもしれないが、すべてではない。
と、長々と説明を書いたが、本題ではない。
前述した通り、定義的にはこの性同一性障害と同性愛の区別は明確なのだが、多くが混同しがちであったり、ややこしいのはなぜだろうか?というのが今回のテーマ。
まず考えられるのは、この二つは明確に違う物ではあるが、実際には両方共有している人がいたり、似てはいるは明確に違うこの手の区分のバリエーションが多いということだろう。バリエーションというのは、例えば女装趣味だけの人とか、これは性同一性障害でも同性愛でもない人もいるわけだ。ほんとうにややこしくなるのでこの手の話は詳しくは書かないが、この手の区分には、明確な区別の定義はあっても、実際は多くの区分、その間の共有具合、グラデーションが無限に存在するということなんだな。なのでややこしいのは当たり前なのだ。
しかし、この無限のグラーデーションがあるからややこしい、という理由以外に理解を難しくしていることがある。
それは心の問題だ。つまり、精神的な性別というのが、定義的には明確でも実際の理解というのが難しいんだ。
例えば、僕自身はごくノーマルだ。身体的にも男性だし、精神的にも男性。恋愛対象は女性。いたってややこしくない。
しかし、この精神的に男性である。というのは、どうしてそんなことが言えるんだろうか?と考えた時、答えに実は困るんだ。つまり、精神的に男性であると思うのは、まず身体的に男性だし、恋愛対象が女性だから。ということ以外に何か言えることがあるんだろうか。と答えに窮してしまうんだ。
性格や考え方、趣味趣向が男性的である。なんてことは、書くまでもなく精神的に男性である定義になんてなるはずもない。ざばざばした女性とか、バイクとか車といった男性的な趣味の女性なんていくらでもいる。
おそらく、性同一性障害の人は、前述のように、性行為などの時何か違和感を感じるとかがあるんだろうとは思う。思うがまったく想像できないというか、実感というか、納得した理解が出来ないんだよ。
無論、性同一性障害ではないから解らない。といえばそれまでなんだが、それでは話は進まない。
何かうまく理解が出来るような説明を誰かしてくれないかなあと常々思っている次第なわけだ。
そして、これは本当に余談というかややこしくなるので別の機会に書こうと思うが、
身体的な性別というのも実は明快な物ではないという話がある。
両性具有の人はそれなりに世の中には存在しているんだが、これは男性でもなく女性でもない、その間の人という明快な区分ではないんだ。ペニスもあって膣もあるという明快なものではない。
男性に近い両性具有とか、女性に近い両性具有とかね、じつはいろいろ存在する。
つまり性別とは、男性と女性が両極にあって、その間に無限のグラデーションとして存在している。というのが実は本当なんだというわけ。
男性、女性と、性別を二分すること自体が間違っているというんだな。身体的にだよ。
まあ、このことを考慮に入れるとね、先に書いた精神的な性別というのがもっと解らなくなってしまうんで、参考までという話なんだけど、この記事自体は、そんなことも知った上で書いていることですよ、というエクスキューズです。
※後日追記
記事に間違いがあることを指摘されました。
記事内では、同性愛は身体的性別と同性を性的対象な人のことを言うと書きましたが、間違いのようです。
正しくは、精神的性別、心の性別と同性を性的対象な人のことを同性愛というのだそうです。
同性愛の「性」の部分を身体的な性別でとるか、精神的な性別でとるかの違いです。重要な部分ですのでお詫びと訂正をさせていただきます。
つまり、身体的性別が同性のカップルでも、同性愛の場合もあれば、異性愛の場合もあり得る訳です。
さらに、身体的に異性のカップルでも、同性愛の場合もあるし、異性愛もあると。
最近話題でもある同性婚というのは、イコール同性愛婚ではないということですね。
勉強になりました。
しかし、同性婚での性の部分は身体的な性別をとるのに対し、同性愛の性の部分は精神的な性別をとるわけで、ややこしいですね。
こういうややこしい部分が、僕を含めですが世間一般の理解を難しくしている要因の一つなのでしょうね。