右半身がマヒしたせいで先天性佼扼輪で中指~小指が使い物にならない、左指2本だけでの生活。
例えば、ズボンの紐が結べない。いろいろ対処方法を調べても、左指が5本使えることが当たり前のように書かれているので、やりようがありません。正直、イライラします。
先天性佼扼輪、仙台に戻ってきてすぐの頃技術の進歩で何とかなるんじゃないかと思い、形成外科の専門医を訪ねたところ、「対処できる技術はおそらく生きてるうちは出てこないだろう」と、そこで医師に言われたのが、「運が悪かったと思って諦めてください」でした。
これが原因で小学校のとき担任教師の虐待を受けました(いわば犯罪被害者)。こんな担任に当たってしまったのまた「運」です。
そして、PTSDになり、同時に双極性障害の発症の原因のようです。双極性障害もまた遺伝病らしいので、これもまた「運」です。
そして、心臓疾患を患い血流に関係あるとの説もある「突発性難聴」になりました。その後完全回復、完全ではないがある程度回復、回復せずがそれぞれ1/3になるんですが、これも「運」なのだそう。
で、脳出血でよりによって5本揃っている右手のほうがマヒしてしまったのもまた「運」。
じゃあ、これらのことが1人の人間に同時に起こる確率は?とAIえお使って調べたら、100兆分の1の確率だそう。
ここで、もし「先天性佼扼輪が原因で教師の虐待に遭い、それが原因でPTSDになり双極性障害になり、そのストレスで血管の劣化が早くなり血管が関わる病気をいろいろ発症した」というストーリー(仮説)が成立する場合の確率をAI調べてもらうと、5000億分の1に確率が上がりました。それでも。5000億人にひとりです。
なぜ、こんな悪運を背負わないといけないのかAIに聞いてみたところ、「理由はない」とのこと。そして、これからどう生きればいいかAIに聞いてみた結果、最後はAIがエラーを起こして強制終了(回答を拒否する場合に起こる)してしまいます。
「答えは出ない」ということです。
ひとつ分かったこと。
小学校の担任の虐待さえなければ、10000分の1(先天性佼扼輪の発症確率)で済んだ可能性が高いということ。言わば、ひとりの聖職者の「悪意」によって僕は天文学的な悪運を背負うことになってしまったわけです。
この「悪意」が奪っていったものはたくさんあります。
PTSDと双極性障害が、穏やかな人生を奪いました。
突発性難聴で、大好きな「音楽」の楽しみが半分になりました(音楽が苦痛になったこともあります)。
右手がマヒし、左手2本の生活になったせいで、普通の人が何気なくできるようなことも奪われました。
突発性難聴と右手のマヒが、熱中できる趣味「作曲や編曲」を奪っていきました
PTSDと双極性障害が、「社会生活を送る」(交友関係や信頼関係を作る)のを奪っていきました
そして、「努力に耐えられる精神力」も奪っていきました
そして、「夢を持って生きる」ことも奪っていきました(毎日を送るのに必死だったので)
よく、「お前は努力しない人間だ」といわれます。「しない」んじゃない、「できない」んです。毎日を生きることだけで精一杯だったから。
そこまで言うんだったら、「お前もこの不運背負ってみろ」と思います。
改めて考えると、今日まで社会の中で生きてこれたのが不思議です。いつ辞めてもいい人生でした。そして、これからこんな天文学的な悲劇を背負って生きてくことに意味(価値)はあるのか。
だって、馬鹿馬鹿しいじゃないですか。自分ではどうしようもないことで、これだけの悲劇を背負わされて生きていくの。
でも、自分で人生の幕を引くのも癪です。
この怒り、だれに(どこに)ぶつけたらいいですか?
・・・聖職者と言われるすべての人に問いたいです。
「あなたは、子どもの人生を左右する自覚と覚悟があるのか?」
と。
口ではなく行動で示せ。その地震がンまいのならさっさと聖職者であることをを辞めろ。
聖職者は単なる職業ではありません。
本当はこんな恨みをいうだけの人生は嫌です。ささやかでも、夢を持って生きたかった。
おめー(虐待した教師)は僕を殺したに等しいです。もし、おめーに出会ったら同じことをします。
僕の人生を返してください。