高松に行っていた理由は、
僕のおじいちゃんが亡くなったから、でした。
96歳まで生きたので、大往生、といっていいのかな?
天命を全うして、天に召されてん。
僕は、一緒に住んでへんかったからおじいちゃんっ子ではなかったし、
里帰りも、家の事情で、小学生くらいまでしかしてへんかったから、
おじいちゃんとの思い出は、そんなないねん。
でも、
すごいちっちゃいころに、親戚の子供の中で、僕だけを、
おじいちゃんの原チャリの後ろに乗せてドライブ(違法?)に連れてってくれたんは、すごい自慢やったし、
大人になってから留学をすることに決まったとき、資金繰りに困っていた僕に、
ずっと貯めていた郵便局の定期貯金から100万円を黙って送ってくれたり、
すごい優しいおじいちゃんでした。
ずーっと会ってなかったのに、
去年のお盆にふと、「たまにはお墓参りも行こうかな・・・。」と、
もう何年ぶりかで思い立ち、
おじいちゃんにお土産で甚平を買って、会いに行っとってん。
ほんま、会っといて、良かった。
まだ、しっかりしてたし、話も出来たし、
最期の思い出を作れて、ほんま、よかった。
今思えば、
「会いにいかな、いけんよ。今、会いにいかないけんよ。」
と、教えてくれたんかもしれん、神様が。
僕は信心深くないんやけど、おじいちゃんはとっても信心深い人やったから、
最期の思い出のために、引き合わせてくれたんかも、知れん。
ええ写真を自分で選んどったらしく、
遺影は、穏やかな、いい顔した、ほんまに良い写真やった。
その遺影を見ながら、線香の火が絶えへんように、
4時半に交代するまで、一晩中、おじいちゃんのそばにいました。
安らかに眠ってな、おじいちゃん。