前々回の、

だんご屋さんのブログに続く、

まだ物事に対する構え(フォーム、姿勢?)がズレる前。



短大卒業後に入社した職場の

1年目について書きます。



短大卒業後、

本社が大阪にあるOA機器メーカーの、

虎ノ門支店に入社した。



本社が関西と言う事もあり、

関西出身の方も何人かいた。



関西と言うキーワードは、

その後の人生で大きく関わって来る事になるが、

いつかどこかのタイミングで書こうと思います。



その支店は、

営業、技術、事務スタッフ、

全部で50人くらいいたと思う。



新人は、営業3人、技術1人、事務1人の計5人。



ひとつのチームに一人の事務員だが、

支店内の全てのチームの電話は

新人が真っ先に取ると言う暗黙のルールがあり、

バンバンかかって来る電話と、自分の仕事を覚えてこなすのと必死な毎日を送っていた。



その内に、

自分の後ろの島(席)のチームリーダーや

他の人から仕事中に話かけられる様になった。



今でも忘れられないのが、



後ろの島のチームリーダー(男性)から呼ばれたので、近くに行ったら、



「〇〇(私の苗字)は、訛っているから今から発声練習だ」と言い出し、いきなり

「あいうええおあお」や早口言葉が始まった。



(声が小さいとかなら分かるけど、

訛っているからって……聞いた事ないワーしかも仕事中)



と思いながらも負けず嫌いなので、

あとに続いて一通り発声練習して席に戻った。



確かに東北のド田舎出身だが、

東京出てから5年経っていたので訛ってはいない。



自分の経歴は少し変わっていて、

高校卒業し東京に就職して2年働き、

1年勉強し直して短大に入学したので

その時点で関東6年目だ。



周りが標準語の中で、

訛り続けている方が難しいと思う。



まっ息抜きにはなるが、

仕事は必死で、余裕は1ミリもない。



今書いていて気付いたが、

もしかして…必死な自分に息抜きをさせる為にやってくれていた事なのか⁉️


………いや、それはないな・笑


その他、

何かとイジくりまわされていたので。

益々余裕がなくなるし仕事がはかどらない。



事務は初めてだったが、

だから余裕がなかった訳ではなく、

仕事が出来ないから余裕がなく必死だった。



なので残業もしていた。

先輩事務員さん達が、

サクッと終わらせてカッコ良く帰る中、

自分は終わらず残業。



残業していると、

ビルの一階のお店で飲んでるメンバーが、



「一階でみんな飲んでるから、キリの良い所で終えて下に来いヨ」といつも呼びに来てくれた。



お腹も空いているので残業した日は、

そこで食べて帰っていた。



メンバーは、支店長をはじめ、営業と技術のリーダー達、あとは営業さん、技術さん、男女それぞれ毎回10人以上はいた。



仕事に区切りをつけて、

一人緊張しながらお店に、

「お疲れ様でーす」と入って行く訳だが、 

みんなすぐに気付いてくれて、

お疲れ様の乾杯し、毎回みんなゲラゲラお腹抱えながら笑い、楽しい時間を過ごした記憶がある。



退職してから営業の先輩に聞いた話だが、

先輩曰く、

「〇〇(私)がお店に入って来ると、空気が一瞬で柔らかくなってたよなー」と言っていた。



どうやら自分がお店に入る前は、

営業、技術、リーダー達で仕事の話でバッチバチやっていたらしい。



全く知らなかった。

みんな楽しく盛り上がってたもんだと思っていた。



相変わらず、いつも一人お花畑だが、、、

自分は平和で楽しかったからいいや。



仕事には慣れないが、

支店の皆さんとは話やすくなっていき、

仕事中、自分から話かける余裕はないが、

話かけられる事が多くなった。



仕事は捗らないが、

リーダーや先輩達には応えないといけないと、

今の自分からは想像もつかないくらい

丁寧に対応していた。



頑張ってたなぁ。。。



にしては皆さんの自分への扱いが、田舎者だったり、他の事務の先輩方には、〇〇さん、〇〇ちゃんなのに、自分だけ〇〇と呼び捨てで体育会系のノリだし、イジくりまわされてたのは何でだろ?と考えてみた。



思い出した。

丁寧に対応してはいたが生意気(毒舌)だった。



長くなったので、

次回に続きます。



長文にお付き合いくださり、

ありがとうございました。