大ヤコブ(福音史家ヨハネの兄)使徒のご作業

           シメヨン メタフラステス(ビザンツの聖人伝記学者)の記録

 

 この尊き使徒の御父はゼベダイ、御母はマリヤ サロメ、聖ヨハネ福音史家とご兄弟なり。

今ご一人のヤコブよりも早く使徒になり給ふが故に、大と名付け給ふなり。

殉教の道より余の使徒よりも天の国へも早く召し上げ給ふなり。

 

 この尊き使徒 イエスキリストのみ弟子のうちにおいて取り分きご大切に思し召す三人(ペテロとヨハネとヤコブ)のうちなり。

イエスキリストこの使徒を尊きキリストの変容(キリストの復活前にその容姿が栄光に輝いたこと。これはペテロとヨハネとヤコブの目前で起こった。)の時も、またシナゴ-グの司ヤイロの娘を蘇し給ふ時も、またごキリストのご受難の時ゲッセマネの森のうちの悲しみの時も、以後の証拠のため、または御伴のために召し連れ給ふなり。

 

 御主イエスキリストのご上天の以後、この尊き使徒はユダヤとサマリヤに御談義し給ふなり。

その後もろもろの使徒御弘めの国に分かるるをし給はぬ前に、スペインへ渡り給ふなり。

その国の人無知なるが故に、御談義の徳を取らぬことを見給へば、その故はただ九人ばかりクリスチャンになり奉るなり。

そのうちより二人をその所に残し給ひ、七人をばユダヤへ召し具し給ふなり。

この使徒数多のみ弟子を持ち給へども、別して十二人はご秘蔵なり。

 

 然れば聖ヤコブ スペインよりユダヤへ帰り給ひて、大きなる熱心を以て御談義し給ひ、聖書の証拠を以てイエスキリストは神の御子にてましますことを弘め給ひ、またユダヤの律法学者 スクリバを強き理詰めをしてやりこめ、御教えを色々の御奇跡を以て固め給ふが故に、彼のユダヤ人ら過分の財宝をヘルモゲネといふ博士に取らせて、この使徒に問答し奉れと約束するなり。

彼の博士の曰く、我出でて問答するに及ばず、わが弟子のヒレトと数多のパリサイ人を遣わして使徒を詰め奉らんとす。

 

 使徒万事に勝れ給ひ、数多の御奇跡をそれらが前にてし給ふなり。

ヒレト師匠のもとに帰り、御教へと御奇跡を賛辞をもって論じ、我ら彼の門徒(宗弟)にならんと存ずる、御身もなり給へかしと勧む。

博士大に怒り、悪魔の魔術祈禱を以てヒレトが全体竦みて歩く事も叶わぬようにして、汝がヤコブ汝を解くこと叶うか否やを、今知れりと言へり、この儀を使徒へ告げ奉れば、使徒御手拭を与え給ひ、ダビデの語を唱えよと宣ふなり。

その語といふは、

 しえたげられる者のためにさばきをおこない、

 飢えた者に食物を与えられる。

 主は捕らわれ人を解き放たれる。

ヒレトその手拭を受け取り、この語を唱えるとともに自由を得るなり。

ヒレト エルモゼネスがことを嘲り、使徒へ参り、御談義を承り、洗礼を受け奉るものなり。

 

 博士術を以て悪魔を招き、使徒とヒレトとを搦めてここに来たれと命令す。

悪魔ら使徒まします所へ近付くとともに、如何に天主の使徒大きに責めらるる我を憐み給へと叫び始めけるなり。

使徒何のためにここに来たるぞと問ひ給へば、博士御身とヒレトを搦め来たれと命令するが故に、ここに来たるとともに御主の天使我を責め給ふなり。

使徒それならば帰りて博士を搦め、害を加えずして連れ来たれと宣へば、悪魔立ち帰りて彼を搦めて来たるなり。

 

 さて使徒に仕らんとしたる狼藉と我らが責めを受けることを許し給へと申すなり。

使徒ここにヒレト居ければ何とて連れて行かぬぞと宣へば、その家のうちにある蟻にも手を掛けること叶はずと申すなり。

 

 その後使徒 ヒレトに、我らに対して仇をなす者によきことを与えるために、汝を搦めけるエルモゼネスを解き免(ゆる)されよと宣ふが故に、元の弟子より赦免を蒙りて万民の前に面目を失いて帰るなり。

 

 使徒彼の博士に、御主は無理に人よりご奉公を望み給はず、汝のままに何処へなりとも行けと宣えば、それより殺されぬ悪魔を防ぐ道具を与え給へと偏(ひとへ)に頼み奉るに、使徒御杖を与え給へばそれを持ちてわが所まで無事に帰りて、あるほどの書物を取りて使徒へ参り、これを焼き給へと捧げ、御足許に平伏して、如何に霊魂の御扶け手、わが靈魂の後悔を受け取り給ひ、今まで御身に敵を仕りける者をみ弟子のうちに加え給へかしと切望する。

彼のエルモゼネス、即ちクリスチャンになりて、あるほどの書物を海に投げ捨て、大きなる神様のご家来となり、その後イエスキリストのみ名を以て数多の奇蹟を顕すなり。

 

 ユダヤ人らこれらのことを見て大きに怒り、使徒を召し捕り、我らより十字架にかけられる人の名を弘め給ふかと言ひて、使徒を大きに辛辣な誹謗するなり。

聖霊充ち給ふ使徒 聖書と預言者を以て御扶け手のご出世、そのご受難を顕はし給ひ、またその聖書 預言者みな真の扶け手イエスキリストに対して遂げ給ふといふことを見せ給ふなり。

 

 その年の一年の間つとめる役人 アビヤタルという人これを見て、万民に御敵となるための勧めをなし、使徒の御首に縄を投げ懸けさせ、御手を搦め奉り、ヘロデ大王の子アリストプロスの子息 ヘロデアグリッパ一世という人の前に召し連れ、乱らし手なりと指して、殺し奉らんと託しけるなり。

それによつてヘロデ御首を打てと命令する。

使徒 御首の座に引かれ給ふ道に中風を病む者一人ありしが、使徒を頼み奉るに、我今そのご大切に対して首を打たれるイエスのみ名を以て起き上がりてご創造主へ御礼を申せと宣ふ折節、速やかに立ち上がりて御主のみ名を頼み奉るなり。

 

 使徒の御首に縄投げ懸け奉りたるジヨジヤスといふ者の手かけこのことを見て、イエスキリストの御事を信じ奉り、使徒のご足下に平伏して御授けを乞い奉るなり。

 

 ヘロデこれを聞いて、使徒の如くその者を打たせよと命令する。

その場に着きて使徒水を乞わせられて彼の女人に授け給ふなり。

斯くの如くしてご両人ともにカトリック信仰に対してイエスキリストの受肉の日、三月の(二)十五日に打たれ給ふなり。

その時代の帝王はロ-マ皇帝クラウディウスなり。

イエスキリストのご出世より四十年に相当たるなり。

 

 そのみ弟子夜に入って密かに御死骸を取り、神様より御奇跡を以てと調え給ふ舟に乗せ奉り、ご計らいに任せてスペインの国コンスポテラといふ在所へ着き給ふなり。

かるが故にその所になほ今にも聖ヤコブの在所と名付けるなり。

スペイン北西端のガリシア地方の果ての海辺なり。

この尊き御死骸七月二十五日その所に着き給ふなり。

かるが故に教会ではその御喜び日と定め給ふなり。(使徒聖ヤコブの祝日)

また十二月の晦に埋葬され給ふなり。

第百六十三代教皇カリストゥス二世とヨハネス ベレトといふご両人、この使徒 御首を打たれ給ひてよりエルサレムよりスペインへ御死骸のり給ふことを確かに書き置き給ふなり。

 

 神様この使徒 スペインの談義者のために遣わし給ふなり。

また死し給ひし後、その尊き御死骸もスペインのうちに置かせらるるやうに定め給ふものなり。

これ即ち敵軍の亡ぼし手ともし奉るなり。

その故はその国のクリスチャン度々敵より運を開きたるもこのご合力故なり。

この使徒を御大将として味方の少人数を以て大軍を亡ぼし給ふこと繁し。

敵の目に光り輝く、鮮やかなる鎧を着、葦毛なる馬に乗り、よく切れる剣を提げ、縦横自在に斬り廻ると見え給ふなり。

度々クリスチャンの手に生け捕りとなりたるイスラム教徒(北西アフリカのアラブ・ベルベル系のイスラム教徒)、右の着物をきちんと整えた騎兵を見ると語るなり。

これほど強くなる人をば未だ見ずと、向はるる敵の亡びずといふことなく、敵よりは何と斬り付けどもその益なしと言へり。

この奇蹟ましますが故に、その国の武士陣頭に出でて合戦をせんと思ふ切は全軍でサンチャゴと叫び奉るなり。

(聖ヤコブはイスラム勢力と戦うキリスト教徒を守護すると信じられ、崇敬されていた)

 

 信仰に対せられて一番に御首を斬られ給ふが故に真の信仰の防ぎ手となり給ふなり。

如何に果報なるスペイン、これほど大きなる御守護を持ち奉れば、勇め、喜べ、神様に別して御礼を申せ、また信仰の事を強く大切にし、その故はこの勝れ給ふ使徒は大富裕にてましまし、斯く程の大きなる殉教を以て飾られ給ひ、強くて勇敢な武人と褒められ給ひ、イエスキリストの御親しみとご親類を以て尊くなり給へばなり。

神様の御前に如何程のご内証に叶ひ給ふぞと心得よ。

神様ご自身の使徒を以て斯くの如く尊まれ給ふなり。