十一月五日

 『されば汝われらの言ふ如くせよ、我らの中に誓願ある者四人あり、汝かれらと組みて之とともに潔目を爲し、汝らの爲めに費を出して髪を剃らしめよ・・・・・・』(使徒行伝、廿一ノ廿三、廿四)

 ナザレ人の誓願といふのはパウロ自身も守つた事のある願がけである。(十八ノ十九)

併し今特別に見ず知らずの四人の人と共に之をなすす必要はなかつたし、見やうによつてはモーセの戒律を守らねば救はれぬと主張するユダヤ人への妥協とも受取れる。

しかも此の願果しには多大の費用が要る。

自分の手でテントを作り之を以て自分の傳道費用と随伴者の費用までも支拂つてゐたパウロが、また此の負擔をさせられる。

理屈から云つても實際から云つても、パウロには拒否す可き理由は充分にあつた。

にも拘らず黙々として此れに従つたパウロの偉大さを見ざるを得ない。

偉大なる人ほど其の譲歩の爲し方も亦偉大である。

大切な問題で争ふ彼が獅子の如くである事はガラテヤ書を見てもわかるけれども小問題に於ては自分を犠牲にしても多數の人を躓かせない彼の用意は誠に我らの學ぶべき所である。

   (祈禱)主イエス様、私共は信仰によつて強く立つと同時に、愛によつて能く人に譲る者となりたう存じます。勇敢に所信を實行すると共に、謙遜な心で凡ての人と交らせて下さい。ア-メン

 

 

   十一月六日

 『宮の内にパウロの居るを見て群衆を騒がし・・・・・・・市中みな騒ぎたち、民ども馳せ集り、パウロを捕へて宮の外に曳出せり、斯て門は直ちに鎖されたり。彼らパウロを殺さんとす』(使徒行伝、廿一ノ廿七―丗)

 エルサレムは全く混亂してしまつたが神殿の内で殺人があつては冒瀆だと思つて、群衆はパウロを曳き出して門を閉ぢた。

ユダヤ人の神殿に對する熱情には感心せざるを得ない。

パウロが神殿を汚したと叫ぶ數人があつたら、『全市はみな騒ぎ立つた』。

併し宗教が土地や建物や習慣や儀式に囚はれるものとなつた時に、それは『大なるかな、エペソ人のアルテミス』と叫んだ偶像教徒と少しも變わつた所が無かつた。

エルサレム人はパウロの血で神殿を汚してはならぬと考へて宮の外に曳き出したが、不法の手を以て彼を殺すことは少しも躊躇しない。宗教の形骸に熱心であつて、其の精神を全く忘れる事は昔も今も實に陥り易い陥穴である。

此の點に於ては我らも無教會主義の人々と共鳴を感ずる。

  (祈禱)神よ、我らを宗教の形骸より救ひ出して、日々新しく其の精神に生かし給へ。願くは全國の教會を義と愛と聖靈に満てる所と爲して我が日本の光となし給へ。ア-メン

 

 

   十一月七日

 『千卒長近よりてパウロを執へ・・・・・・パウロ階段の上に立ち、民にむかひて手を揺かし・・・・・言ふ、兄弟たち親たちよ、今汝らに對する辯明を聞け』(使徒行伝、廿一ノ四十、廿二ノ二)

 群衆の暴行に遭つても沈着其物の如きパウロである。

此の場合に陥つても自分を辯明する代りに最も平静な態度で福音を宣傳へてゐる彼の姿は激昂せる群衆を壓するものがあつた。

次の章に『人々・・・・・益々静かになりたれば』と書いてあるのは其の意味であらう。

茲に眞に信仰に立つて、生死の問題を他所に見ることの出来る人の強味がある。

自分が生きやうとすればすれこそ、其の慾に制せられて弱くなる。

一切を神にまかせて自分は全く捨身になるときに人間は強くなるものである。

『身を捨ててtこそ浮かぶ瀬もあれ』と言ふ諺は信仰の奥義にも通ずる。

パウロは常にキリストの爲めに死んでゐたから、如何なる時にも勇士の如く振舞ふことが出来たのである。

  (祈禱)あゝ神よ、風に動かさるる葦の如く、些少の困難や苦痛に動かされ易き我を憐み給へ。願くは常に汝を見上げて、一切を御手に委ねる信仰を我に與へ、最も苦しき時に、最も平安ならしめ、最も危き時に最も冷静ならせ給へ。ア-メン