聖トマス イエスキリストの使徒のご作業

   ビザンツの聖人伝記学者 シメヨン メタフラステスの記録

 

  この使徒 カイザリヤに福音を弘めていたところに、御主イエスキリスト見え給ひて、ここにインドの帝王帝王の勅使来って、内裏を造らんと上手な大工を尋ねる、それに具して彼の国へ渡れよと宣へば、聖トマス如何に御主、何処如何なる所に遣わされるとも、インドに到ってはご免なされよかしと辞退申されれば、御主汝ともに我も行きて力を添えるべきところに恐れることなかれ。

彼の国の人々をクリスチャンになして後、汝は殉教の位を以てわが所に来たるべしと宣へば、この上はともかくも思し召すままに計らい給えと申し上げ給ふなり。

 

 然るにインドの勅使その辺(あた)りを見物して徘徊せられるところに、イエスキリスト平人のように見え給ひて、御身は何事を尋ね給ふぞと問ひ給へば、ロ-マの内裏の如くに殿閣を造らんとて上手の大工を尋ねるために来たりぬと言へり。

御主、ここにトマスとて上手の大工あり、これを具せられよとて引き合わし給ひて、去り給ひぬ。

彼の使者使徒に対して御辺は大工にてましますやと問へば、そうですと答え給ひ、色々の家などの設計図など数多を見せ給えば、使者大いに喜び、舟に乗せ奉り、インドに向かって渡りけるが、或る港にてその所の主人子息に婚礼を整え、上下万民を振る舞はんとて彼の舘(たち)へ迎えられるによつて、聖トマスもこの使者も出でられるなり。

 

 結婚披露の宴の半ばにユダヤ人の女が喜びの歌を歌いける中に、

「もろもろの民の神々はすべてむなしい。

しかし、主は天を造られた。」(詩九六・五)

というダビデの語を歌ひけるを使徒聞き給いて、天に向かって涙を流し給うところを給仕の者ども見て、これほど目出たい祝言の座にて何事を泣くぞとて、御顔を打ち奉れば、使徒默されて後、わが面を打ちたる者いたはしいかな、その故はその手を犬の銜(くは)えて我出でぬ先にここに来たるべし。

彼の悪人は少しも心に掛けず、後ろの山にある水を汲まんとて行きければ、その山より獅子走り出て忽ち食らい殺し寸々になしけるを、犬彼の死人の手を含みて使徒の御前に来たりければ、座中の人々これを見て大いに驚き、これは只人(ただびと)にあらずと弁へたるものなり。

 

 それによって祝儀をさせられたる主人、わが子息夫婦のうえに祝福を唱え給ふようにと頼み奉れば、その夜使徒主人のもとにて御談義をし給い、おのおのクリスチャンになし給ふなり。

その女のなかにはペラジヤとて殉教者になられ、その子息は終にその所の司教になり給い、勝れたる善人にてましまつるとなり。

 

 されば聖トマスは件(くだん)の使者ともにインドへ着き給えば、国王の心に叶い、即ち工事のために要るべきほどの金銀珠玉を渡され、国王は遠い国へ行き参った。

 

 使徒その財宝を悉(ことごと)く貧人に与え、帝王の御留守の間 御談義のみをさせられ、数多の人をクリスチャンになし給うなり。

国王 都に帰りあってご覧なれば、内裏の造り一宇もなし。渡し給う財宝はみな乞食に施されると聞き給い、使徒と同じく前述の使者 獄舎に入れさせ、皮を剝ぎて殺せと命令をなし給うなり。

 

 然るにゴツと申す帝王のご舎弟 死んで四日目に蘇えらるれば、人々大に仰天して逃げ去りけれども、国王の御前に

出でられ、籠に入って皮を剥がせられ、殺し給わんとの宣旨下されたるトマスという人は、無双なき善人なるのみならず、天使に宮仕我給うなり、然ればわが身死してより、天使に導かれ、天に到り、金銀珠玉を以て飾りたる国王の宮殿を見て驚きければ、天使 我に告げ給わく、汝の舎兄(しゃきょう)させられたるという人、汝の兄のためにこれを建立せられたる、されども舎兄は望みなければ、先づ蘇りて国王へ入費の額を返上申し、この内裏を買い取りせよとて蘇えさせられるものなりと国王に話し、また使徒まします籠の前に到り、、その御足許に平伏し、深い尊敬の念をもってあがめ敬い給えば、帝王も後より行幸あって、わが舎弟、御身の天に造り給う殿閣を、買得せんと望めども、かつて賛成せず、誤って御身を戒め奉ると、却つて涙を流し給うなり。

 

 使徒宣うは、世界の始めより天の宮殿は数々造り置かれたり。

それを買得すること、信仰と慈悲なり。

それを望み給はば、ご存命の間に御慈悲を専らし給へと宣ひ、帝王をを先として、その国の万民をキリシタンになさせられ、種々のご法談を述べ給ふなり。

 

 一つ、父と子と聖靈という位格である神は一体で、しかも本姓は唯一である。

 二つには、婚姻の秘跡を重んずること。淫欲をつつしむこと。

 三つには、隣人のものをむさぼってはならないこと。

 四つには、飲酒食食 暴飲暴食を避けること。

 五つには、告解の秘跡専らなりということ。

 六つには、この教えの規律を守り届くるために精を入るべきこと。

 七つには、敵をも味方をも愛すること。天主に対し奉りて大切に思うべき子細の条々を宣いて後、その国をば退出し給ひ、余の国へ赴き給ふなり。

 

 その主人の婦人わが弟に異見せんとて籠の辺(ほとり)に近付き申さるるに、使徒ご教化なさるれば、即ちキリシタンとなり、それよりして夫婦の交わりを断たれければ、その夫なる主人いよいよ怒りを起こし、搦めながら召し寄せ、わが妻を返されよと言ひければ、使徒宣はく、御身は主人にて穢れたる者の奉公せんとするをば嫌い給うが如く、清浄の源にてまします天主にご奉公を申す人を淫乱に穢れよとは勧むべきぞと!

 

 その時主人、鉄(くろがね)の板を焼きてその上を踏ませ申せども、少しも御痛みなきなり。

その後塚穴に火を熾(おこ)し、うちに入れ申せども、これにても痛み給はぬなり。

御恙(つつが)もましまさずして、次の日出で給ふなり。

その後また日輪の形を拝ませ奉らんとしければ、天主の御力を以て日輪の形に籠(こも)りける悪魔、蝋の火に溶けるが如くになれと宣ふとともに本尊忽ち砕けければ、もろもろの出家ら声をあげて、我らが仏の恥を雪(すす)がんとて槍にて使徒を突き殺し、殉教者になし奉れば御靈魂天に到り給ひ、御死骸をばキリシタン納め奉りぬ。

 

  ご在世の間にし給ふ御奇特のうちに、余の所より夥(おびただ)しい大木流れ来たって、使徒居給ふインド東海岸のカラマンデルといふ所により半町ほどある浜にあり。

その国の万民国司の家を造らんがために数千人して引けども、更に引き得ずして力に及ばず、捨て置きたり。

 

然るをこの使徒 エクレシヤご建立のために国司へご所望ありければ、数千人を以てさへ引くこと叶わざるに、如何でか御身の力の及ばんや?

然れども所望においては容易(たやす)きこととなりと。その儀においては、その木通るべき所をみな領地に参らせんとの約束なり。

 

 使徒御礼あってご退出あり、彼の木のある所へ到り給ひ、腰にし給ふ帯を解きてその木に付け、三里ほど軽々とただ一人して引き上げ給ひ、異邦人の諸出家無念に思ひ、彼の使徒を殺し奉らんと工(たく)みけるこそ恐ろしけれ。

その身の持ちたる幼(いとなけき)子を殺して、使徒の殺し給ふと申し掛けて国司へ訴え」ければ、即ち使徒を召し出し奉り、この儀は如何にと糾明のために彼の死骸を御前に置けば、使徒死骸に向かいて、如何に童(わらんべ)汝を殺しける者を誰(たれ)と言へ、我天主のご名代として汝に命令すと宣ふ折節、忽ち蘇りて、その身の親より殺されたりとて指を指すなり。

 

 万民この奇特を見て、国司を始めとして国中上下万民キリシタンになり、彼の大木を以てエクレシヤを建て給ひ、今にその木を守りと用い、尊むなり。

 

 聖イシドロス(c560-636証聖者。教会博士。スペインのカトリック教会発展のために貢献し、博学のゆえにエンサイクロペディストといわれ、中世ロ-マの知識をゲルマン世界へ伝達した。)の曰く、この使徒御主イエスキリスト蘇り給ふことを聞き給ひ、信ぜられず、相見奉り、手を掛けて信じ給ふなり。

パルティア、メディア、ペルシア、バラモン教徒の人数に福音を弘め給ふなり。

またなほ先行き給ひ、東の果てまで御談義し給ひ、槍にて突き殺され給ふなり。

 

 聖ヨハネスクリュスストモス(354頃-407)コンタンスタンティノポリス総大司教。東方教会最大の説教家。の曰く、この使徒はイエスキリストのご誕生の十三日目に参拝仕られたる三人の帝王の国へ下り給ひて、その人々にも洗礼を授け給ひ、即ちその人々よりこの使徒の御教えに力を添え給ふなり。