今回は1965年の映画『反撥』(「はんぱつ」と読みます)を紹介します。



巨匠ロマン・ポランスキー監督の作品で、若きカトリーヌ・ドヌーブが主演を務めています。
主演はフランス人のカトリーヌ・ドヌーブですが、これはフランス映画ではなく全編英語のイギリス映画。僕はカトリーヌ・ドヌーブが英語を喋ってるのをこの作品で初めて観て驚きましたが、考えてみれば彼女はフランスのトップ女優ですからこんなのは別にフツーなのかも笑

この作品は第15回ベルリン国際映画祭の審査員特別賞を受賞しています(因みに同じ年の同じ賞をアニエス・ヴァルダ監督の『幸福』も獲っています)。



さて、まずはロマン・ポランスキーですが、
この人はなんとも、いやはや、撮るのが上手なんですね笑 
物凄く才能に溢れているのか、もしくは物凄く緻密に計算をする人なのか分かりませんが(あるいはその両方かな)、「映画を撮る」ってことをよく理解してる人なんだろうとこの作品を観るとよく分かります。

多くを語らず、つまり台詞で説明を加えずとも、映像で観客に語りかけるのです。
小説でも舞台でもなく映画という映像芸術だからこそ伝えられる手法をきっと心得ているのでしょう。


鬼気迫る雰囲気や、演者の真理描写を、きちんと映像で残すことが出来る監督なんです。 
彼の人生や作品についてはとてもここでは書ききれない多くの栄光と惨劇、多くの逸話に溢れていますので割愛しますが、彼が31歳とかそのあたりの頃に撮った作品がこの『反撥』だと知ると、その才能に思わず唸ってしまいます。

そしてそのポランスキーよりさらに10歳年下のカトリーヌ・ドヌーブが、印象的な瞳のアップとともに始まるこの作品の主人公キャロル役を務めています。

え、この時ドヌーブってまだハタチそこそこだったのか⁉

という衝撃を受けながら、映画を観ていると、美しくて何処か儚げな彼女の言葉、行動の一つ一つから目が離せなくなります。
最初のカットのキャロルの大きな瞳が語るもの、その奥深くにあるものは一体なんなのか、
ストーリーが進むにつれ、観客は当初予想していたよりもキャロルの奥底にあるその傷がより大きくて深いことに気付かされます。


この作品のジャンルはなんなんだろうな、と考えて、調べてみると一応「サスペンス」ということになっていますが、一人の人間の中の歯車が徐々に狂い始めるその様はたしかにサスペンスさながらの恐怖感を与えるのは勿論のこと、作品の扱うテーマとしてはもっと社会的な、いわゆる「社会派作品」の側面を持っていますし、係わり合いのなかでの人間の心理描写という意味では「人間ドラマ」そのものでもあります。


まあでも、ジャンルなんてどうでもいいことです。


一番良い時代に、一番良い監督と一番良い女優が出逢って出来上がった奇跡的な作品なんですから。


そう考えると映画って、出逢いの産物ですよね。

他の組み合わせではあり得なかったものが、確かな組み合わせで出来上がって時代を越えていく。
いや仮に、たんに結果としてそれほどの映像作品になった、というだけでも凄いんです。
今の時代に、これだけテクノロジーが進歩した時代に、果たしてそれくらいに価値のある作品がどれだけ生まれているのか?
50年前に比べて(『反撥』は実に53年も前の映画なんでですね)、映画にかける予算や技術って比較にならないくらい変わったんでしょうが、時代に沿う、興行的によく練られた作品は山ほどあっても、一本の映画として時代を越える作品はいったいどれだけあるのか……。




この『反撥』には、性的に追い込まれる際どい映像だって、ひとつも出てこないんです。

だのにどうして、
ひとりの美しい女性が変わっていく怖さと脆さ、際どさがここまで観る側に迫ってくるのか。



ポランスキー万歳!


カトリーヌ・ドヌーブ万歳!



…それだけで片付けちゃいけないのは承知の上で、

やっぱりこの出逢いが、時代が、この名作を生んだのでしょう…!



でも、きっと、ポランスキーもドヌーブも他の共演者たちも、皆必死だったんだと思うんですよね。
名作を作ろうとして作っているんじゃなく、ただ良いものを作ろうと皆が一生懸命に作った映画、それが50年の時を越えて未だに色褪せないパワーを持っているということがすべてを語っているようです。



過去を美化するのは好きじゃないのですが、
美化でも正当化でもなく、ただ単純に
「いつになっても本当に良いものは良い」
という当たり前の解答を改めて突きつけてくれるのが名作と呼ばれる映画たちの所以ではないでしょうか。


もちろんどの時代にも良し悪しがあり、それぞれの「味」がありますが、

人間の普遍的な孤独や脆さを描くということにおいて、実は映画は一番素敵な表現なんじゃないかと映画贔屓な僕などは思ってしまうわけです。

だから今の映画だって、
きっとやれるんじゃないだろうかという希望を抱いてるんです、過去の名作に敬愛の念を抱くのと同じくらいに…。