こんばんは!えがみです!

最近雨が続きますが、五月雨の音は素敵ですねにひひ
うちの窓の外にはとある邸宅の庭園があって、
雨が葉っぱにおちてしとしという音はとっても風情があって素敵だなぁと、
ちょっとだけうきうきしますカエル
こんな日はうちでのんびりに限りますね満月(笑)

さて、今日は私が授業を受けていて興味を持った「創造性」についてのおはなしです。
その授業は
「創造性」って何だろう?
からはじまりました。
「創造性」というものは、確かに存在しそうだし、
最近では色んな学校でも「創造性を育む教育を行います!」とアピールしていたりしますよね?

でも実際、
「創造性」の正体は何なのか。
とか、
どうやったら創造性を身につけることができるのか?
って全く明らかにはなってないんですよね。
(なってたら苦労しないですが・・・笑)
授業で講義をされていた先生も、今それを研究中で、
色んなcreativity溢れる著名人(例えば、有名な書家の方や芸術家、科学者など)
にインタビューや様々な調査をしながら模索中だそうです。

ただ、授業の中でちょっとビデオを見たりして私が持った感想としては、
基礎なしで創造性(特に、高く評価されるもの)
を身につけるのは無理そうだということ。
幼稚園などでの「自由にやらせましょう」教育や、話題のモンテッソーリは、
基礎をも自分で身に着けてしまう「天才型」にはいいかも知れないけれど、
よくも悪くも普通の能力を持った子どもにとってはかえって何も身につかない教育なのではないかなぁなんて思います。
(モンテッソーリに関しては私はよく知っている訳ではないので、もし誤解があったらすみません><)
私は、普通の子どもの才能を伸ばすには、その時は嫌々でも、
「基礎」を身につけ、熟達させることこそが大切なのではないかと思います。
創造性は「基礎」という道具を駆使できてこそはじめて生まれるものなのではないでしょうか。
例えば、一見「え?!?!(下手なのか上手いのか分からない・・・)」と思うようなピカソの絵ですが、
彼の若いころのデッサンは基礎に忠実で、めちゃめちゃ上手い。
ポップスバイオリンで有名な葉加瀬太郎も、元々東京芸術大に入っていて、
しっかりクラシックの基礎を身につけた上で「自分の音楽」を創っています。
有名なオリジナルの創作書家(たわしで書道したりする人です!笑)の人も、
毛筆での手本写しを毎日4時間程欠かさず行うそうで。

このように、一流の創造性を持つとされる人たちは、やっぱり基礎あってこそ、なように思います。

ただ、ここで私が気になるのは、
「芸術とか研究とかは基礎の上にあるかもしれないが、ビジネス等々で求められる『創造的なアイデア』についてはどうなんだ?!」
ということ。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・。
うーん。

ビジネスでいう基礎って何にあたるんですかね?
机に向かってする勉強なんでしょうか?
それとも、ビジネスでも、そのアイデアが求められるフィールドに関する基礎が必要なのでしょうか?

謎は深まるばかりで迷宮入りしてしまいました。
すっきりしない感じですみません(笑)
来週の授業もしっかり聞いてきます。

それでは皆様良い週末をお過ごし下さい(*^ー^)ノ
!hasta luego!


人生ゲーム極辛、ってのがでたらしいですね。知ってますか?

現代の不況を反映して、就職が人生ゲーム史上もっともきつくなってるらしいです。
それに、不利な人にはさらに悪いイベントが起こりやすい、といういわゆる「勝ち組、負け組」みたいな構成なっているらしく…

やりたい気持ちはありつつも、これが現実世界の反映なのだとしたらいやだなぁというのが本音です。

さまざまなところで、このような二極化が指摘されています。

「能力」に関して言ったら、勉強ができるやつはコミュニケーション力などのいわゆる「人間力」も高い傾向にある。いわゆる「総取り」です。たしかに最近では、勉強はできないけど、俺にはこれがある!っていう言い訳がますます通用しなくなっているような印象もあります。

家庭や子育てに関して言ったら、所得不平等が教育投資の不平等をもたらし、ついには子どもの所得格差にまで影響を与えているといわれています。所得だけでなく、教育に投資する時間、文化資本などの影響もあります。

もちろん確率、傾向の問題で、すべての人に当てはまる話ではないですが、負のスパイラルというものが社会に落とし穴のように存在しているのだとしたら、これを何とかする必要があるように感じます。

これまでの学校教育では、機会の平等が達成されてないということが指摘され、そもそも、スタートラインにおいて不平等が存在していることがわかってきました。

そこからどうすればいいのでしょう。

まず、勝ち組をひきずり下ろす、というのは違う。
また、成功者がよく口にするような、逆境を跳ね返せ的な精神論に陥るのも違う。
勝ち組に入れれば安泰、という個人主義的な発想ではなく、そうではない人への支援のほうに目を向けるべきだと思うから。
また、家庭教育に国家なりの権力が過剰に入り込むのも、問題性を感じる様に思います。

私的な教育と、社会における公平性という間のバランスはこの上なく難しいように感じます。


ここから先は結論を出せません。
ので、いずれ答えられるように頑張ります、という終わり方を許してwww
こんばんはー。りきたけです。


最近暑くなったり寒くなったりでよくわからない気温のせいか、自分の周りでも体調を崩す人が多いようです。四月に入って環境等が変わり張りつめていた糸も、そろそろ緩んでくる時期ですしね。

最近はというと、学校では主に教育学部の講義を漁りつつ、合間を縫ってちらちらと法律の勉強をしています。あれ、お前国文学専修じゃないっけ?とかいう突っ込みは受け付けません。卒業まで。笑


さて、そうすると自然な流れで「教育と法」に対し関心が湧いてくるわけで。特に身近なものと言えば、自分たちが高校を出る前後に沸き起こった教育基本法改正論議があります。

ここで改正法について何が良かっただの失敗だっただのとうだうだ述べる気はありません。しかし、旧法に比べて改正法では何が新たに規定されているか、またはその逆で何が規定されなくなったか、それは日本の教育に関わるもの、教育を学ぶもの全ての人がしっかり認識しておく必要があるのではないでしょうか。


法律に綴られている言葉の重みは、本当に測り知れません。長い長い文章でもたった一つの言葉が変わればその法が律する社会が大きく変わる。
そのようなことを教えられることなく、トップダウン式に作られた法律をそのまま受け入れている(むしろそんな法律があることも知らない)人がどれくらいいることでしょう。


法に信義的たれ、懐疑的たれ、現実としてそこにある法が何を示そうとしているのかを学ぶことは本当に意味のあることだと思っています。


何かものすごくまとまり無くてすみません。笑 とりあえず風邪ひいた。