南ヤスヒロ君について知っている2、3の事柄 | microstar's blog

南ヤスヒロ君について知っている2、3の事柄

南ヤスヒロ(南康弘)君が亡くなった。
彼はマイクロスターの初期ライブにおいてドラマーとして手伝ってくれた友人だ。
10月20日未明、自宅マンションのベランダから転落するという不慮の事故によるものらしい。

彼と初めて出会ったのは95、6年ぐらい、
土橋雅樹君(Treacle Well)のレコーディングの時だったと思う。
土橋君の弟子的な感じでスタジオに荷物を持ってついてきたのが彼だった。
ドラムをやっているとの事だったので、マイクロスターのライブで
サポートのドラマーを探していた僕は彼にお願いすることにし
その後数年間マイクロスターのライブでたたいてもらった。
僕よりも年下だと言っていたし彼は童顔だったので、そのことについては
全く疑わなかったけど実は同い年だと言う事を彼の口から聞いたのは
ずいぶんと後になってからのことだ。
ずっと年下だとばかり思っていたから
ずいぶんと失礼な物言いをしてたかもしれない。
ゴメン、南君。
彼はいつもフワフワしてて危なっかしくて
ボケーっとしているかと思うと意外に器用で
たまに間違えるけどいつもニコニコしてて
何とも憎めない、とても不思議な人だった。

彼についてとても印象に残っている事がある。
ある日、僕は相方Pちゃんとマイクロスターのリハのため
スタジオに向かっていた。そこに南君から電話が入った。

南「佐藤さん、すいません!(ピーポーピーポー)」
僕「おお、南君、どうした?」
南「さっきちょっと車にひかれまして(ピーポーピーポー)」
僕「え?!」
南「で、今救急車の中でこれから病院行きますんでリハにちょっと遅れます(ピーポー)」
僕「リハ来なくていいから早く病院行って!」

バイクでリハに向かっていた南君は車と接触事故をおこし
救急車で運ばれたのだった。
意識がしっかりしていたとはいえ、救急車の中から
「ちょっと遅れます」と電話してくるあたりがなんとも南君らしい。
当然、その後しばらくサポートはお休みする事となった。

2000年を過ぎたあたりからマイクロスターもほとんどライブをやらなくなり
彼と会う機会も減っていった。
最後に会ったのは2005年ぐらいだろうか?
友人のライブで久しぶりに会った彼は平井堅さんへの楽曲提供をはじめ
職業作家として売れはじめた頃で、とても生き生きとしていた。
それまでの苦労時代を知っている僕は彼の成功をとても嬉しく思ったし
作曲家としてのヒットなどない僕は正直羨ましくも思った。
彼はいろんな楽器を器用にこなす事ができたし、曲もたくさん書いていたし
歌も僕なんかよりぜんぜんうまかったし
これからやれることはたくさんあっただろうにとても残念でならないし
正直まだちょっと信じられない。
今も向こうからあのニコニコした顔で
ヒョコヒョコとこっちに歩いて来そうな気さえする。
でも一番信じられないと思っているのは当の南君本人じゃないだろうか。
天国で「あれ?あれ?」とか言いながらキョロキョロしてる姿が目に浮かぶ。

最後に手前味噌ですいません。マイクロスターで「モーターサイクル・ボーイ」
この曲が出来たときから「南君のテーマソングみたいだ」って思ってました。

南君、安らかに。