こんにちは、Achiですニコニコ

先日、不妊治療のクリニックを卒業し産院へ転院したため、ひとまずこの「妊活日記」ブログはお休みしようと思っていたのですが、書きそびれたトピックがあったので、ご紹介したいと思いますピンク音符

 

一番最初の超初期での流産の後、病院で各種検査を経てタイミング法を何度かとった時からカウントすると、妊娠(現在12週目)に至るまで、我が家は2年かかりました。

そのうち、NAC日本橋に転院して本格的に妊活を行ったのは1年ちょっと。

(前の病院からNACに転院し、本当に良かったと思っています照れ 通院し続けるには、いろいろな面で大変なクリニックですが、寺元理事長の技術はピカイチですので。)

最後の1年は、部署を異動して業務量を減らしながらではありましたが、それでも仕事しつつの妊活は容易なことではありませんでしたショボーンあせる

 

そうした中、妊活を続けられるかどうかの大きなを生むのが、だと思います。

私の場合、始めのうちは主人との関係にかなり苦労し、悩んでいたので、どのように解決したのか、ご紹介できればと思いますニコニコ

 

実は我が家では、私以上に主人の方が子供を強く希望していました。

私も、子供がいたらとは思っていたものの、不妊治療となると、精神的・金銭的な負担が大きく、仕事面でもいろいろと諦める必要が生じてしまうため、不妊治療には後ろ向きでした注意

そんな私と違って、主人は、不妊治療でも何でも、できることはとにかく試してみて、是が非でも子供が欲しいという強い希望をもっていましたタラー

 

そんな主人に動かされ、不妊治療を開始したのですが・・・

NAC日本橋では患者の予定に合わせて通院日を決めるということはできず、病院側の指定となりますタラー(時間帯まで指定されることも多々・・・。)

仕事で時間休を取得しなければならないだけでなく、ホルモン値の上昇具合などを見て通院日が決まるので、通院スケジュールを事前に把握することができないため、仕事の日程をあらかじめ調整することも叶いません・・・。

私のように30代半ばになると、責任あるポジションに就いている方が多いと思いますが、いきなりリーダーに、「明日の午前中、通院のため遅れます」と前日に言われても、職場の人たちも困るわけです・・・。

 

そうなってくると、このブログのタイトルにあるように、バリキャリ(死語)としてこれまでがむしゃらに働いてきた私としては、かなりのストレスが溜まるわけですもやもや

さらに、通院に行くのはいつも私だけ。夫は付き添いません

(ちなみに、アメリカのオバマ前大統領夫妻も、お嬢さんを二人とも不妊治療で授かっているのですが、ミシェル夫人が著書の中で、女性の方ばかり通院しなければならず、女性の負担が大きいことへの不満を吐露されています。どの国も、同じですね・・。)

 

しかも、身体のリズムを整えるために日付が変わる前には寝ようとしているのに、飲み歩いて深夜に帰宅して私を起こす夫

なんで私ばかり病院で貴重な朝の3時間をつぶさないといけないの?”

なんで私ばかりこんな痛い思いをしながら何回も採卵しないといけないの?”

不妊治療の期間が長引けば長引くほど、主人への不満がフツフツと湧いてきました。

 

不満が溜まると、ちょっとした主人の言動がきっかけで、夫婦喧嘩も増加

結婚してから10年間、本当に仲の良いおしどり夫婦だったのが、正直なところ、主人に対してもはや憎しみに近い感情が芽生え始めていましたタラー

 

子供を二人で育てたくて不妊治療を始めたはずなのに、夫婦喧嘩で傷つけあうなんて、なんと本末転倒でしょう!えーん

このままでは夫婦関係が危機になると直感。

打開策を考えたときに、カギは夫に主体性を持たせることだと思いました。

うちの主人には、「妻が」ではなく「自分が」妊活をしているという意識がことごとく欠落していたのですドクロ(主人が望んで始めた妊活なのに、です。。)

 

そこで、いくつかのことを試した結果、主人が少しずつ変わってくれたのです笑い泣きキラキラ

 

1.通院への付き添い

まず最初に、(当時はまだ新型コロナの前でしたので)NACでの診察に毎回主人を連れていくようにしました病院

もちろん、主人は私に付き添うだけで、血液検査も何もしません。

ただ、病院でこれだけ待たされていること、通院のための職場との調整が大変なことについて、身をもって知ることができます。

すると次第に、診察室での寺元理事長からの説明に対して、「さっきの発言って、どういう意味?」、「この数値って、どうなの?」と、自分で知ろうとする姿勢が芽生えてきました。

特に、移植後の診察で医師から厳しい結果を告げられるとき、二人一緒に受け止めるのと、私から間接的に知らされるのとでは、受け止め方が少し違ってきます。

長い時間つきそわせていることへの罪悪感はありましたが、病院への付き添いによって、主人の意識が随分と変わりました

 

2.治療代の負担の割合を変える

金銭面でも、当初は割り勘だったのを、後半からは主人が負担する額の割合を増加

実は、この決定に至ったのは、ある事件がきっかけでした。

仕事量を調整して、コンディションを整えて臨んだ2回目の採卵。

このとき、既にコロナ禍にあったので、新鮮な精子ではなく、凍結精子を使用する必要がありました。

採卵の1週間ちょっと前に、事前に採精に来るようNACから指示があり、主人は土曜日をチョイス。

しかし・・・

あろうことか、主人はその週に飲み会を入れまくり、挙句の果てに、採精前日(金曜)の帰宅は日付変わって午前3時。。。

NACで予定通り採精したものの、見た目からして全くフレッシュではなかったそうですおばけ

その結果、採卵後の授精成績はこれまでで最悪・・・。

この時はなんと主席卵胞が2つ採れ、合計24個の卵が採れたのですが、「受精せず」のオンパレード。凍結できた胚盤胞も、着床には至りませんでしたショボーン

 

さすがにこれには私もキレましたムカムカ

私は毎回採卵の度に全力投球しているのに、主人はというと、全くコンディションを整えるそぶりすらもないのですから。

採卵+移植を1セット行うだけで、診察費を除いても軽く50万はかかります(NACの成功報酬制度のうちはもう少し少ないですが)

「私が費やした時間も、エネルギーも、お金も、全部、あなたが台無しにしたのよ?!ムキー」と泣いてぶち切れました。

この事件以降は、毎回の診察代は私が払い、NACから請求のある採卵代金や移植代金などのまとまった請求(10~40万/回)を主人が全額払うことにしました。

これにより、一回一回の採卵や移植に臨む主人の緊張感に変化が生まれました

 

3.ちゃんと向き合って話し合う

我が家では、ちゃんと向き合って話した結果、不妊治療に明確な期限を設けることにしました

この決断は、お互いそれぞれにとって、難しいことでした・・・ショボーン

 

3度目の移植もダメだったと判明した頃から、私の精神状態がかなりすり減り始めました。

「ダメですね」と医師から告げられるのは、一度だけでも十分辛いですが、それが何回も重なると、次第に自己否定せずに前向きな心持ちにもっていくのが、難しくなってきます。

全く妊娠反応が出ず、しかも明確な原因も見当たらず、不妊治療が終わりのない迷宮のように感じ、何ともいえない恐怖と絶望感が高まっていきましたショボーン

仕事の面でも、いつまでも業務量を少し抑えたポストに居続けるわけにはいきません。

職場に対する罪悪感や焦りも、募る一方です・・・。

他方で、今不妊治療を辞めれば、年齢的にどんどん妊娠は遠ざかっていきます。

私としては、夫婦二人きりの人生でも十分に幸せだと思っていたのですが、主人は子供のいない人生など考えられないとのこと。

そこで、4度目の移植もかすりもしない結果となった時、二人でちゃんと向き合って、真剣に話し合うことにしました

 

なみだ涙で話し合った結果、主人は私が想像以上に精神的に参っていたことを知り、

「子供はもちろん欲しいけど、それ以上に俺にはAchiが大事だから」と、はっきり言ってくれました。

そして、もう一度だけ採卵し、その時に凍結できた胚盤胞を全て移植するところまでは頑張ろう、それでもダメなら、不妊治療は終わりにしようということになりました。

 

正直なところ、私としては、仮にもう一度採卵してダメだった場合でも、子供を欲しがっている主人が可哀そうで、あと更にもう一度くらいは採卵を頑張ろうかなと内心では思っていました。

ただ、主人との間で、とりあえず期限を設けることができた、主人から「不妊治療を辞めてもいいよ」という言葉を得られたことが、私にとって精神的に本当に楽になりました

結果として、主人と最後にしようと話した採卵の時に採れた卵が、今私の中ですくすくと育っています照れ

 

 

不妊治療をしている夫婦はみんな、それぞれ違った事情を抱えていると思います。

ただ、おそらく共通して言えるのは、夫婦が気持ちを一つにして頑張らなければ、不妊治療という辛く残酷な荒波は乗り越えていくことはできないということです。

 

しかも、不妊治療の時点で夫の心構えができていなければ、その後の妊娠・出産・育児において、更なる苦労が待ち受けていますガーン

私の場合、着床した後、「これはもうダメですね」と医師から告げられる場面が何度もありました。

絶対安静にもなり、寝たきりになった時期もありました。

つわりで一日に何度も吐き続ける日が続きました。

そうした時、夫の支えは絶対です。

主人はこの一年で大きく変わってくれました

私が寝たきりになったときには、掃除洗濯をしてくれるようになりTシャツデニム

つわりがひどいときには、食べれそうなものを買ってきたり果物を剥いてくれるようになりりんご

早く帰宅して食事を作ってくれるようになりカレーサラダ

頼まなくても率先して私のことを思いやってくれるようになりました。

一年前の主人からは、全く想像できなかったことですえーん

 

まだ不妊治療中のときの精神的ダメージが完全には消えてはいませんが、主人の私に対する理解が不妊治療前と後とでは、比較できないほど大きく変わったと思います。

不妊治療は辛かったですが、私たち夫婦にとっては、必要な試練だったのかもしれません。

少し時間はかかりましたが、主人がものすごく成長してくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです照れ

(ちなみに、投稿前に主人に念のため読んでみてもらったところ、何度も気まずそうに笑っておりました笑。)