その日は通院日
いつもの様に13:00過ぎに終わった病院
母と外食し帰って来て間もなくだった・・・
2011年3月11日(金) 14:46
経験したことのない長い揺れ
鳥さえも鳴かない静けさ・・・
暗闇・・・サイレン・・・ヘリコプターの音
徐々に分かる沿岸の被害
まるで映画でも見ている様で
同じ県で起きてることなのにボーとしながら見ているだけだった。
入らない食料・ガソリン・生活用品
「戦後じゃないんだから」
なんて漏らしたほどだった。
自家米の寄付・募金それくらいしか出来なかった
あれから2年
沿岸の人達からは
「内陸との温度差がある。沿岸の事を忘れかけてる」
なんて言葉をTVで見たことがあります。
返す言葉もありません
内陸は、道路も整備され、ほぼ元の生活に戻って不自由さは感じません
沿岸の方々は今でも仮設住宅、交通・医療の不便さ・・・
大変なご苦労されていると思います。
もし、あの津波が私の地域で起きたどうなっていた?
母とそんな話をよくします。
道路挟んで本家の家には日中、痴呆のお婆ちゃんと知的障害を持った叔母さんがいます。
その2人も連れて
「逃げれるかな?走れるかな?」
自分の身だけ考えれば薬も持たずに逃げれると思う。
けど、入退院を繰り返したり、自分も危険な時もあったりして
生死と向き合ってきたからこそ、家族同然に可愛がってくれた2人を連れて逃げなければ
なんて考えたりしてしまいました。
ポンコツな体なんで
私が、沿岸に行ってボランティアする事も出来ません
正直言って、今爆弾を抱えた体で交通の不便な沿岸に行くのは怖いです ごめんなさい。
もう少し、沿岸が復興したら行来たいな
行けたら良いなと思っています。
お買い物沢山して来たいと思っています。
亡くなられた方々のご冥福と行方不明の方々が1日でも早くご家族のもとへ帰れますように。
避難・被災された方々が1日でも早く安心して暮らせる様に願いたいです。