敗戦と僕の誕生の因果関係と「靖国」
今日2009.8.15は、敗戦記念日。
僕の父は、大日本帝国海軍・飛行予科練習生の生き残りです。
所謂、ゼロ戦のパイロットして養成されていた訳です。
前回の日記は、JALジャンボ機の墜落事故ということで、
パイロットという職業には感慨深いものもあります。
そして、もし戦争がさらに長期化していたら、父は玉砕し、
僕はこの世に存在しないという必然性もあった訳です。
ですから、この8月15日は、僕の誕生を決定づける一つの出来事でもあった訳です。
そして、偶然にもこの8月15日の数日後が僕の誕生日です。
さらに・・・「世論」を鑑みれば、「靖国」への誤解も多いのですが、
いろいろな過去を背負って存在するのが国家であり、人間なのです。
「所謂、A級戦犯」とよく公共放送(NHK)などでは言うように、
「俗にA級戦犯と謂われていますが、実際はどう解釈すべきか検証と議論が必要ですよ」ということでもあります。
それが「所謂」(いわゆる)という言葉の使い方でもある訳です。
そして、その過去を背負えずに他人事のように過去の出来事を葬りさろうという精神性と批判は下衆である。
と、思うのです。
もう、そんな「世論」という「世の中の気分」はウンザリなのです。
もっと、国家・市民・国民同士で論じ合って担ぎ上げられた論調としての、
「輿論」であって欲しいものです。
ご存知の方も多いと思いますが、「世論」は『輿論』の当て字です。