(前回の続き)


 亡くなった男性の遺書を見ると、真面目で責任感の強い性格が仄見える。おしなべてこういう人は、トラブルが起きるとまず自分を責める。

 一方、何が起きようと、すべて他人のせいにし、自分だけは安泰な場所にいて責任逃れをする輩は、まずどこの職場にもいるものだ。このような人物の標的となるのは、今回亡くなった男性のようなタイプである。

 実際、真面目な人の性格につけこみ、全責任を押しつけ、自身はラクをしているくせに排斥するのは、意識下で渦巻く劣等感や後ろめたさのせいだろう。それを払いのけるため、わざと憎んでみせる。そうすることによって相手を悪者にし、己の正当化を図るのだ。

 あるいは、意識化もへったくれもなく、ただひたすら己と違う毛色、匂いの者を排斥したがる狭量な人間かもしれない。


 こうした人間関係は、その辺でよく見かける。しかし、周囲はことのほか無関心または強者の味方をするものだ。

 上司のパワハラによる被害が出るたびに、

「指導上の範囲だ」

と決めつけ、弱い立場にいる者に対し、ますますの忍耐を強いる傾向がある。

 そうして取り返しのつかない結果になってから、

「こんなになる前に、相談すべきだった」

などときいたふうな口を叩くのも常だ。あるいは、

「これぐらい我慢できなかったとは、根性なしだ」

なぞとしたり顔に決めつける。

 陰湿な嫌がらせを執拗に繰り返して部下を殺した、この粘着質のパワハラ係長には、社会的な咎めは何もない。謝罪すらしない。社会もそれを要求しない。


 遺書は営業所長宛てになっているが、この営業所長が、業務放棄(部下の相談に応じず、指導もしなかった)及びパワハラ係長に対し、どんな処分をしたのかはわからない。おそらく、なんの咎めも処分も無しだろう。そんなことをすれば、会社側の非を認めたことになるからだ。

 この会社は、社員の自殺を何ら悼む様子もなく、東京地裁における訴訟では、

「自殺は業務によるものではない」

とまで主張していた。そう言い切るだけの根拠が実際に述べられていたのか否かすら、明らかではない。ただ、人の死を悼むよりまず、保身だけに走っている様子だけは明瞭である。


                 (続く)