2007年、連合総合生活開発研究所(薦田隆成所長)が、首都・関西圏在住の労働者を対象に、疲労の自覚症状などを調査した。調査の対象となった900人(20~50代)のうち、738人から回答を得た。
中でも、疲労の自覚症状の調査には、厚生労働省も使用する疲労蓄積のチェックリスト(「イライラする」「憂鬱だ」など)が13項目ある。正社員では、
低疲労・・・50.5%
高疲労・・・48.4%
との数値が出た。高疲労の内訳は、次のとおりである。
20代・・・56.7%
40代・・・52.8%
30代・・・44.9%
50代・・・40.5%
また、労働状況による疲労蓄積度の違いによる調査では、週の労働時間が60時間以上だという労働者の68.9%(平均より20ポイント高)、成果主義で賃金格差が拡大している職場では、56.1%(平均より8ポイント高)が高疲労となった。
「長時間労働が疲労を蓄積させることが明らかになった」
と改めて言うのもくだらないほど、当たり前すぎることだが。
一方、仕事量に自分の意向を反映できる職場では、65.4%が低疲労となった。
調査を終えた同研究所は、
「本来は疲労の蓄積が薄いはずの20代で高疲労が多く出ているのは、若年者が酷使されている表れだろう。一方、40代は上から叩かれ、下から突き上げられて疲労が蓄積しているのではないか」
と分析しているが、事はそんな画一的な問題ではない。
20代の疲労率が最も高いからといって、最も酷使されているのが彼らだとは言い切れない。なぜなら、この年代は学校を出て間もない層である。個人の都合融通が利いた学生生活に慣れきっている身にとって、社会人生活、労働者生活は通常以上につらく感じるだろう。言葉遣いや人間関係など(ベテラン社会人には当たり前のことさえ)にも、不慣れなこと、疲労の原因は事欠かないに違いない。
また、若さに驕り自分に甘いというのも、この年代の特徴だ。簡単に弱音を吐き、疲労ストレスを訴えることに、中年層ほどの抵抗がない。その是非はともかく、そうした点において年代的特徴が顕著に出るのが、20代であることは事実だ。
一方、20代と対称を成すのが、50代の労働者である。この年代は、「自分に厳しい」「忍耐は美徳」という教育を受けている。端目には過酷な状態でも、なにしろ忍耐が当たり前になっているので、本人の自覚すらないことが多い。したがって、アンケートにも自覚のないまま(「これぐらい、なんでもない」と思い込んでいる)記入することは大いにあり得る。
さらに、「自分さえ我慢すれば」という自己犠牲をともなう責任感は、(あくまでも一般論だが)20代の比ではない。「つらい」という自覚が出てきたところで、この自己犠牲の美徳が邪魔をし、またしても苦痛を訴える機会を逃す。
本当につらいのは、簡単に悲鳴をあげることのできない立場にいる者である。多くの経営者は、ある程度の年配者であろう。他人の立場を慮れないほどの世間知らずであろうはずがない。にもかかわらず、この状態を無視するなら、労働者の苦悩を知っていて知らぬふりをしていると言われてもしかたがない。
世の中には、自己の利益のためなら、労働者がどうなろうが知ったことではないという経営者が溢れている。そんな連中の「裁量」になぞ任せていては、やがて日本中の労働者が過労死しかねない。現に、過労死者は年々増え続けている。労働者の権利と幸福を保障する法の設立と涵養を、国が本腰を入れてとりかからねばならないのだ。
わざわざこのようなアンケートを取ったからには、もちろんそれを活用し、労働者が健全に暮らせる社会を造る事業を急ぐつもりであろう。単なる「データ集め」「分析」ではあるまいな。