そもそも「ゆとり教育」なるものの実施が審議されたとき、諸手を挙げてとまではいかないでも、概ね賛成していた人は、どれぐらいいたのだろう。
少なくとも、自分のまわりでは見事に反対派がほとんどだった。一人、
「ゆとり教育を反対する人々の多くは、詰め込み教育を受けた世代だろう。彼らは次世代にラクをさせるのがおもしろくないんだ」
と言っている人がいたが、説得力はあまりなかった。
ともあれ、国中から聞こえる反対派の懸念を無視し、強行された「ゆとり教育」のおかげで、教育現場は混乱をきたした。
この朝令暮改ぶりに対し、ある中学教諭は、苛立ちを露にしている。
「そりゃ、子供たちに『生きる力』だ何だと抽象的なことを教えるよりは読み書きと基本を教えるほうが楽ではありますが、こうもコロコロと変えられては上に対して不信感を抱きますよ」
気持ちはわかるが、上に対する「不信感」なぞ、なにも今回に限ったことではないだろう。しかも上の人間は、自分らの決定によって現場で働く者がどれほどの影響を受けるかなど、まるで考えていない。
小学校で301時間、中学校で360時間、主要科目を増やすという。まったくもって、無能な者ほど極端から極端に走るものだ。増やすじたいはいいとしても、「ゆとり教育」に心身とも浸かりきった生徒らに、「普通教育」を受ける能力があるのだろうか。
ことに、小学校で甘やかされた生徒らを新たに指導する中学教諭には、大変な労力が強いられるだろう。
「疲れないよう、無理せず適当にのっそりやって、嫌ならやらなくていい」
という扱いを受け、大事に大事にされてきた生徒らの「怠慢正当化癖」を矯正する手間暇は、授業以前の問題である。
小学校と高校の間にある中学校は、生徒の入学前に振りまわされ、卒業後の心配もしなければならない。真面目な教師ほど、神経を消耗するのは目に見えている。「ゆとり教育」を廃止し、勤勉な学生を育成するにおいて、この点が最も危ぶまれるのだ。
「一番の被害者は何が何だか分からないままシステムだけを押し付けられる子供たち」
という意見もあるが、そんな同情は必要ない。なにしろ彼らは、「怠慢正当化術」をしかと身につけているのだ。
「ボク達、被害者なのー。かわいそうなのー」
なぞというポーズをとりさえすれば、なんでも(むろん殺人さえも)許されることを知っている。
昨今のガキ犯罪を見るがいい。漢字をろくに知らなくても、小数点の計算ができなくても、学ぼうという意欲すらなくても、「いかにトクをするよう振舞うか」という技だけは全身で覚えこんでいる。「ゆとり教育」がもたらした真の弊害は、こうしたえげつないガキ(あえて子どもとは呼ばない)が激増したことである。
甘やかされたガキどもとて、おとなになってから困るのだという理屈も通用しない。それはもういついかなるときでも、ゴリッパに自己正当化、責任転嫁を重ね、己だけはこの世の飯をおいしく平らげる才能を持った連中なのだ。
本当に気の毒なのは、無能で頑迷な中教審や融通の利かない上司に振りまわされ、なま狡い怠慢生徒に消耗される、教育現場の真面目な面々であろう。
ゆとり教育見直し 高校教師は歓迎で中学教師は困惑
中央教育審議会は学習指導要領の改定作業を進めており、国語や算数、数学など主要科目を小学校で301時間、中学校で360時間増やすことを決定した。..........≪続きを読む≫